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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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1枚の写真から 1963年横浜

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撮影:田辺多知夫氏
横浜市電 保土ヶ谷橋 1963.12.18
国道1号線を行く市電と丸いバス。この1枚の写真(1963年横浜)からスタジオジブリの映画「コクリコ坂から 1963年5月、横浜」 のことが思い出されます。



↓ 企画・脚本 宮崎駿さんのメッセージ一部。「コクリコ坂から」公式サイトより 2011年夏
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「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
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以下は田辺さんが撮った1963年横浜から。
横須賀線/東海道線  保土ヶ谷-戸塚 1963.12.18
高台に団地ができ始めた頃か起伏ある沿線に住宅はまだ少ない。
横須賀線で悲惨な鶴見事故があった1ヵ月後。

横浜市電の横浜駅前 1963.7.30

市電が走る市内風景1963.11.1

横浜高島町の高島駅(貨物)の一角にあった横浜機関区 1963.7.30
ここでC56とハチロクが自由に撮れた。田辺さんも私も同じでその殆どが機関車のドアップで周辺を写し込んだ写真は少ない。この年ここで私は初めてC56の実物を見た。


貴志川線 雑型車の時代

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鉄道模型趣味(TMS) 9月号の地方私鉄失われた情景第15回は「貴志川線 雑型車の時代」です。今回は絵になる雑型車の車両紹介となりました。

ねこの駅長とたま電車で有名な今の和歌山電鐵 貴志川線はその昔こんな楽しい雑型車の時代があった。淡路と海を挟んで和歌山の貴志川線は淡路交通に負けずにガソリンカー改造の電車ばかり。

朝の通勤・通学時間にはこんな珍編成が次々と東和歌山駅にやって来た。元片上鉄道や元和歌山鉄道のガソリンカーを改造して見事に電車に化けている。
前からモハ201+クハ803+モハ202  東和歌山 1965.8.4

戻って来たモハ202と奥には改装中らしき2両が見える伊太祁曽の小さな車両工場。

日中はモハ202を切り離してクハ803(元片上鉄道)+モハ201(元和歌山鉄道)がのんびり走る。


森下雅一さんの写真展

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写真展「ミンガラーバ! ミャンマー・レイルサイドストーリー」今週28日から開催されます。

オリンパスギャラリー東京(新宿) 8/28~9/9  木曜休館

オリンパスギャラリー大阪          9/18~9/30 木曜休館

50年60年の時を遡り、その片隅に失われたかつての日本の面影を見つけるような気もするのです(作者解説より)。生活感溢れるミャンマーの鉄道と人々の作品約70点。これは楽しそうです。

詳細情報

1963~1964年の横浜

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 1964年東京オリンピック開催式の10月10日は横浜へ記念乗車券を買求めに行った。 その前年が先日テレビ放映された「コクリコ坂から」の舞台となった1963年5月の横浜だった。

テレビ画面 1963年の横浜

1枚の写真から 1965年渋谷

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 これも田辺さんが1965年に撮った1枚の写真。

東横百貨店西館屋上からみた営団地下鉄銀座線の検車区.1965年12月 撮影:田辺多知夫氏
東急玉川線と井の頭線の線路が並走している。今はこの検車区と玉川線の跡がすっぽり渋谷マーシテイのビルの中に納まっている。地下鉄検車区は何本か整理されたようだ。

上の田辺さんの1枚は現東急東横店西館の屋上から撮影された。2020.8.15

吉永陽一さんの写真展「空鉄うつろい」渋谷駅10年間の上空観察より。2020年7月
渋谷マークシティ(エクセルホテル東急)のビルから現東京メトロ銀座線の電車が顔を出している。
吉永陽一さんの写真展「空鉄うつろい」


2013年2月作成

渋谷駅へ下る専用軌道. 1969.04.22
この写真の2年前に商号変更で東横百貨店は東急百貨店東横店となり、玉電の渋谷駅の終端は東横店西館の中に入っていた。写真に見える東横店南館はまだ建設中で翌1970年に完成している。そんな東急東横店が電車の背後に見える.



寺下雅一さん写真展

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「ミンガラーバ! ミャンマー・レイルサイドストーリー」
本日からスタートで早速観てきました。

オリンパスギャラリー東京(新宿) 8/28~9/9  木曜休館

オリンパスギャラリー大阪          9/18~9/30 木曜休館

オリンパスギャラリー





淡路交通 ガソリンカーを改造した電車

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 淡路交通のカルダンドライブ車はこれまでに何回かアップしてきました。
淡路に4両いたカルダンドライブ車について画像更新し改めて整理してみます。

自社ガソリンカーのキハニを改造してエンジンに代えモータを床下に吊り下げ、ガソリンカーのプロペラシャフトを使った直角カルダン駆動だったモハ2006~2009 4両は、まるで模型の駆動方式みたいな電車であった。その後 改造遍歴があり、1両ごとに外観や駆動方式が変化に富んだ興味深い電車であった。

モハ2006 直角カルダン エンジンをモータに交換し元々あったプロペラシャフトで駆動。
モハ2007 直角カルダン 上と同様
モハ2008 垂直カルダン 直角カルダンだったがある時期に試作垂直カルダンを組込んだ。
モハ2009 直角カルダン 写真の1965年時点では電動機は外してあったようだ。

過去の記事:淡路交通 垂直カルダンドライブ車

撮影:1965年夏
モハ2006。プロペラシャフトドライブをやめて、普通の釣り掛け式駆動のブリル台車に履き替えた。側面はキハニ当時の3扉のままで角ばったスタイルは、他の3両とは全くイメージが異なる。

モハ2007。 2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車に
プロペラシャフトで駆動する直角カルダン車。この日は準急で活躍していた。
早朝の準急モハ2007  洲本


右のモータから車輪を駆動するプロペラシャフトが見える


床下のモーターとプロペラシャフト。

モハ2008。  丸みを帯びた正面と側面2扉は2007と同様な外観。
この1台のみ
は試作垂直カルダン駆動方式を組込んだ台車を履いている。


直角でも平行でもない、垂直カルダン駆動とは興味深い構造だ。


モハ2009。 側面の扉を1つ埋めて2扉車に。他の3両に較べ全長が短く外観も異なる。
この時代にはプロペラシャフト駆動は使われていなかったようだ。

モハ2008に組込まれた神鋼電機(鳥羽工場)製の垂直カルダン駆動装置。

図は三重交通志摩線 5401号のもの
この解説図は同志社大学鉄研OB会「デジタル青信号」に掲載されたもので、投稿者の沖中様に借用許可をいただきました。原本は図の様式から神鋼電機のサービスマニアルと思われます。

朝の浅間温泉驛

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温泉といえば浅間温泉行きの軌道線 松本電鉄浅間線。
ひなびた木造電車と対照的だったのが立派な洋館風駅舎であった。
昔も今も高級感ある温泉地の感じがする。

撮影:1963.7.20
朝の日が差してきた浅間温泉驛。

浅間温泉の立派な駅舎。

浅間温泉驛

松本市内へ発車した朝の通勤電車。

下り電車がまもなく浅間温泉に到着する。中浅間近辺


霞丘陵から金子丘陵にかけて

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青梅(東京)~飯能(埼玉)にかけて丘陵地帯があるが、八高線金子駅から見えるのが金子丘陵で、その西方の青梅まで連なるのが霞丘陵と呼ばれている。

1960年代半ば、地方だけでなく東京近郊にもこんな長閑な風景があった。

撮影:1966.9.29
八高線金子駅で一日何本もやって来た石灰石列車。 

桑畑を行く八高線。 金子

金子丘陵を背後に貨物が金子駅に到着する。

東京近郊でこんな長閑な風景を見ることができた。霞丘陵

昔のプリントから

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どなたか先輩から頂戴した撮影者不明の紙焼きプリントから。

撮影は昭和30年代の前半でしょう。 私が撮り始めた頃には加悦鉄道以外は消えていた。

私も大量にある紙焼きプリント(キャビネ判)をどうしようか悩むところです。


同和鉱業小坂鉄道小坂線.
雨宮製作所製の11号機.

加悦鉄道.

宮崎交通.日車製6号機.

井笠鉄道 井原駅

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 鉄道模型趣味(TMS) 10月号の"地方私鉄 失われた情景"第16回は「井笠鉄道 井原駅」です。
井笠鉄道末期の井原駅はホームの上に
ボーリング場がある駅ビルに改築されたが、1962年はかって栄えた大軽便の面影をまだ残す堂々とした駅であった。

9月20日発売

井原にいた車両など→井笠鉄道 井原駅

井原駅構内配線図の下絵

井原駅の笠岡行ホームと貨物上屋。

多摩湖線 萩山の先

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久しぶりに多摩湖線で緑が多い区間 西武遊園地から萩山までを歩いてみました。

あれから10年、狭山公園の脇は木立や茂みは成長し立入禁止の看板まであり、以前のようには撮れなくなっていた。 また、武蔵大和~萩山間は線路に沿って多摩湖自転車道(&遊歩道)があり大変歩きやすいが、ふらっと来ての撮影は難しそう。

撮影:2020.10.1

西武山口線 西武球場前

多摩湖(村山貯水池)の湖畔。

狭山公園の森。

狭山公園の脇を行く。

10年昔の狭山公園脇。 2010.5.16

武蔵大和-八坂

武蔵大和-八坂


武蔵大和~萩山間は多摩湖自転車道(&遊歩道)が線路に沿っている。

多摩湖線の国分寺行9000系。 萩山

東武鉄道 熊谷(妻沼)線 リニューアル

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変色した古い切符の日付を見ると昭和56(1981)年7月18日。
熊谷線を訪問したのは驚くことに40年も昔のことであった。
あの日のことが鮮明に記憶が残っていて、とてもそんな昔には思えない。
1980年の私は会社の仕事がピークを迎え翌年の夏はほっと一息ついたのだろうか、
クルマで一人ふらっと妻沼駅に立ち寄ってみたのだった。

1981.7.18

廃線が近い妻沼駅。列車が到着するまで駅前の喫茶店で一服していると夏休みの高校生達が店内にたむろしていた。クルマで鉄道沿線を撮ったのは上毛電鉄、熊谷線、筑波鉄道、山形交通三山線くらいだったか。

jha141さんからコメント戴いた妻沼線の思い出を紹介します。

全部懐かしい 幼児期から小学校に入る前まで熊谷市石原に住んで居ました 目の前が土手で上を妻沼線が走ってました(後に東部熊谷線と知る) 大きく成ったら妻沼に行きたいと思い時が過ぎ数年前廃線に成った事を知り真夏の暑い日に熊谷に行きバスで妻沼まで 電車に乗る事は出葉ませんでしたが記念館で記帳し写真を撮りその後国宝の聖天山も見学歩いて石原まで土手の雰囲気は残って居ました、陸橋の上で車掌に追いかけられた場所は解りませんでした。


妻沼駅

模型的に纏まった機関区。

妻沼駅手前の備前渠用水と思われる。

どこまでも一直線に熊谷へ向かう。

大聖寺川を渡り山代へ

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鉄道模型趣味(TMS) 11月号の"地方私鉄 失われた情景"第17回は「大聖寺川を渡り山代へ」北陸鉄道加南線です。1964年、木立を背に田園風景の中を温泉通いの電車が走っていた情景はまるで模型のようであった。




1966年航空写真。

今では立派な温泉施設が並び神社の木立に昔の面影を残している。

大聖寺川を渡る。

土手を行く元温泉電軌モハ1800形

七ッ屋駅の構内配線図

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8月12日の 浅野川線の七ッ屋で未完成であった七ッ屋駅 構内配線図。国鉄北陸本線との位置関係を航空写真に基き仕上げました。構内配線図は模型のための図でありノットスケールです。




七ッ屋駅



上毛電鉄 赤城山と青空

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青空の出ぐあいを見て平日の朝北関東へ飛び出した。

上毛電鉄を撮るなら赤城山を背景にして撮る、これを長いこと考えていた。

一回の訪問で満足ゆくものは撮れないのは当然で、ロケハンのつもりで今回撮ってきました。

気持ち良い青空と雲は午前まで、午後は大きな雲で陽が陰り情けない状況に。
次回は朝早く行って午前中に的を絞るのがよさそう。

桐生周辺の混み入った鉄道路線がサッパリ分からず東武と各線の接続がこれでやっと理解できた。

 

新屋-粕川  撮影:2020:10:26

赤城山を背景にのどかに走る。 
女渕城本丸跡の迷路のような先にあったひと気のない公園。

赤城山麓の秋の青空。 

午後の赤城山麓を行く。

新屋駅から歩いて粕川駅に着く頃には青空も勢いがなくなる。

交換駅の粕川

東武特急「りょうもう」浅草から2時間ほどで赤城駅に到着。
ここで上毛電鉄に接続だが乗換えた客は私一人くらい。

東武特急「りょうもう」の終着駅赤城。

上毛電鉄の車内

遠い昔42年前の上毛電鉄デハニ52。1978年1月

夜行列車

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昭和38(1963)年に乗った長野行の夜行列車はこんなでした。 

昭和38年 夜行列車と浅間線

有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車のどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高」の車内通路の床に座る事にした。

発車時刻になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。
列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。


写真下は文芸春秋に掲載された松本清張作品「遭難」で紹介された1958年夏の準急アルプスの普通3等車の車内である。1960年にアルプスが急行に昇格すると、準急「穂高」としてひきつづき運用された。

昭和40(1965)年前後のお盆の東北方面行き夜行列車も普通2等車の車内は帰省客や東北旅行客でこんな状況であった。旅行は季節休みを利用するのでどうしても混雑がピークとなる夜行列車であった。
(1960年~3等→2等になる)

昭和38(1963)年、私達が乗った準急「穂高」は超満員で床に寝るスペースすらなかった。


昨日、西村繁男絵本 原画展「やこうれっしゃ」で見た夜行列車の絵は上野発→金沢行のこんな時代の光景が実によく描かれているが、私達が乗った夜行列車とは時代が違うようで豊かになって来た日本を感じたものだった。

西村繁男絵本「やこうれっしゃ」から

57年前の京王線 沿線風景

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57年前の京王線の下り電車、私はこの写真は背後の風景から仙川駅を出てつつじヶ丘駅に向かって下っているところと思い込んでいました。ところがこの区間にある入間川がこのような小川ではないとの指摘があり、この近くに在住の大学鉄研OB氏に鑑定を依頼した結果、写真はつつじが丘駅の東側ではなく西側であることが判明しました。

1960年代の航空写真、当時の京王線築堤の高さ、背後に見える駅などから仙川~つつじヶ丘間ではなくつつじヶ丘駅西側のつつじヶ丘~柴崎間で撮影したものでした。
モノクロ写真のカラー化、現在のカラー写真は大学鉄研OB氏より送って戴いたものです。

一面田んぼだった風景はその後埋め立てられ住宅地となり、その住宅もいつの間にか今風の住宅に変わって来て、京王線に限らずどこでも沿線風景は時代とともに変化し今昔対比が難しくなってきている。遠い昔の田園風景などは忘れ去られてしまうのでしょう。


つつじヶ丘を出た下り電車、遠くに国分寺崖線の台地が見える。 1963.7.31
モノクロ→カラー化

現在のつつじヶ丘~柴崎。上の写真の撮影位置はほぼこの辺りと思われる。

つつじヶ丘駅の部分拡大で駅を出たところに下り勾配がある。

柴崎~つつじヶ丘間で撮った田園風景。1963.7.31

1960年代の航空写真(地理院地図) 柴崎~つつじヶ丘間。

足尾銅山観光の機関車

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先日、紅葉のわたらせ渓谷鉄道に乗って通洞にある古河足尾歴史博物館(あしおトロッコ館)を訪問し産業用機関車を訪ねてきました。帰りにすぐ近くにある足尾銅山観光(観光客のほとんどがここへ行く)にも立ち寄ってみました。足尾銅山観光の詳細はネットに詳細に紹介されているので省きます。

撮影:2020.11.21

わたらせ渓谷鉄道 通洞駅


観光で有名なトロッコ列車に乗って坑内へ。
観光客の殆どは古河足尾歴史博物館に寄らずこちらを訪問して帰る。


地下の展示室で注目したのがこの美しい坑内用電気機関車。

足尾銅山の坑内軌道は475mmゲージで誠に小さな機関車。
余りにも小さな車体でポールが巨大に見える。明治26年に足尾銅山工作課にて新造。


トロッコ列車を降りて坑道の奥にあった歴史資料展示室。


鉱石トロッコ
 
この先1200キロの坑道。


展示室の先の通路を進むと、そこは先ほどトロッコ列車が入って行った坑道入口であった。
 

産業用機関車を訪ねて 古河足尾歴史館(あしおトロッコ館)

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NPO法人足尾歴史館は2019年4月から古河機械金属㈱が運営を引継ぎ「古河足尾歴史館」として再スタートしました。これに伴い従来の鉄道保存ボランティアチームによって運営されてきた屋外展示や車両保存活動は、独立した新たな組織「一般社団法人あしおトロッコ館」となり古河機械金属㈱協力の下「古河足尾歴史館」の屋内外展示場で昨年から活動を開始したそうです。

今回の訪問目的はこの「あしおトロッコ館」に保存されている産業用機関車の見学でした。
トロッコ館というと足尾ガソリン機関車(レプリカ)や加藤製4t機関車の動態保存がよく知られていて客寄せの運転施設のイメージが強いのですが、実は未整備車を含めて多くの産業用機関車をストックしていて、これらの整備が進むまではまだ積極的にPRしていないそうです。

今回の短時間訪問ではとても見切れずざっと確認ができただけでした。
保存車は産業用機関車で動態保存6両、復元中7両で、その他トロッコ客車、トロッコまで様々。

再度訪問した時はこれらの車両を時間掛けて見学したいものです。
これから更に整備・復元が進んで動態保存車が増えてくるとトロッコ(森林鉄道、鉱山鉄道、工事鉄道)ファンにとって見逃せないメッカ「あしおトロッコ館」になることでしょう。


運転中のカトー4t機とトロッコ客車(足回りが元向ヶ丘遊園の客車)
背後が古河足尾歴史館

足尾ガソリンカー軌道の機関車と客車(ともにレプリカ)

加藤製作所製4t機関車(動態保存)

米川鉄工所製3tガソリン機関車(動態保存) 元花巻市伊藤組
最も惹かれた小さな機関車。


気になる未整備のガソリン機関車(復元中)

ニチユ10トン電機(復元中) 元新八茎鉱山。未整備車がゴロゴロしている。
シートに包まれた元向ヶ丘遊園の豆電車(復元中)


屋外展示場とストック材。
背後の足尾の山に木が茂っている。

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