1962年から6年が過ぎた浦川浦駅は以前と変わらない夏の風景であった。
この年の9月末に飯室~浦川原間の部分廃線を迎え、こんな浦川原駅の風景も消える直前であった。
駅には以前のように貨車の姿が見えなかったが、小さな貨車は貨物長大編成へ出動していたのだった。
部分廃線を迎え貨物輸送も廃止されるというのに、小さな貨車で新黒井まで輸送する荷がまだあったということになる。この夏の貨物長大編成のことは「頚城鉄道4 頚城の貨物」に紹介してあります。
待合室の掲示板によると、浦川原から松代(マツダイ)、松之山温泉、十日町などへ向かうバス路線があって、直江津へもバス路線が繋がっていた.1968年ともなれば道路の整備もかなり進んできたと思われる.
この年の9月末に飯室~浦川原間の部分廃線を迎え、こんな浦川原駅の風景も消える直前であった。
駅には以前のように貨車の姿が見えなかったが、小さな貨車は貨物長大編成へ出動していたのだった。
部分廃線を迎え貨物輸送も廃止されるというのに、小さな貨車で新黒井まで輸送する荷がまだあったということになる。この夏の貨物長大編成のことは「頚城鉄道4 頚城の貨物」に紹介してあります。
ホームでは客車改造の気動車ホジが発車待ちしている浦川原駅. 1968.08.18
軽便としては立派な駅のこんな風景を1968年夏にまだ見る事ができた.
今もこの場所に残る浦川原駅の駅舎.
浦川原駅の構内.
こんな長閑な風景も、今ではこの線路跡地に立つ高架の上を「北越急行ほくほく線」が走る.
のどかで素晴らしい軽便風景があった浦川原の昼下がり
以前「頚城鉄道4 頚城の貨物」で紹介したことがある貨物長大編成. 百間町
↓ラベル「頚城鉄道」をクリックで過去の頚城記事の全てと繋がります。