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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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多摩湖線 一橋学園駅の夕暮れ時

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久しぶりに暮れゆく西武多摩湖線の一橋学園の駅を撮ってみました。

3年位前はよく多摩湖線を撮りに行ったものだが、最近はすっかり止めてしまった。
猛暑もとっくに過ぎ秋から冬にかけて撮影に絶好の季節となったきた。
多摩湖線「一橋学園」駅の魅力は、各駅停車のみで爆音たてて駅を通過するような列車はない、
ホームまで大きな階段の上がり下がりの必要がない構内踏切のある駅、
夕暮れ時の駅と街並の一体感などで、
東京近郊でローカル私鉄を感じさせてくれる雰囲気がある。

秋の夕暮れ時の一橋学園駅  2012.10.26  クリックで拡大

駅を降り踏切を渡って小さな改札口を出ると駅前商店街が続く.
陽が落ちてうす暗くなると駅前商店街の灯りが輝き買物客が繰り出す.
駅は街行く人々の目線の高さにあり街並と一体になっている.

改札口の時計は5時4分、夕闇せまるこの頃 商店街の灯りは益々輝いてくる.
駅はこれから通勤客で賑わう時間帯を迎える.


冬の夕暮れ時の風景  2010.01.27


多摩湖線 昔の多摩湖駅の跡

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山形交通高畠線の元西武モハ101系
昔、こんな小さな多摩湖線モハ101系が発着していた終点「多摩湖駅」とは一体どこにあったのか?
一昨年「多摩湖駅」の跡を確認したことがありました。
多摩湖駅の改名、移動の歴史は複雑怪奇のようです。

 多摩湖駅の跡 2010.05.16  クリックで拡大
昔の終点多摩湖駅はこんなところにあったのだ。そしてあの小さな電車がここに・・・
狭山公園の脇を走る多摩湖線に沿って土手があり、そこに車止めらしきものが見える。
昔の終点はこの土手で行き止まり.

この行き止まりを鉄橋で延長して駅を移動し、駅名変えたのが今の「西武遊園地駅」ということに.

延長区間の鉄橋を渡り、終点「西武遊園地駅」へ.

狭山公園側から見た昔の「多摩湖駅」があったところ.
こんな土手の上の狭いところに終着駅が !


多摩湖線の萩山から先の区間で国分寺-西武遊園地直通のN101系を撮りに行ったことがあったが、多摩湖線にこんなに緑多い区間があったとは最近まで気付かなかった。

西武遊園地ー武蔵大和   2010.05.16
鉄橋の手前が昔多摩湖駅があった所で、その先延長した行止りが現在の西武遊園地駅.

新緑真っ盛りの狭山公園脇を行く国分寺行. 西武遊園地ー武蔵大和 2010.05.16
多摩湖の脇に狭山公園があり離れたところに狭山湖がある。ここが何で狭山公園なのかややこしい名称.

西武山口線 元井笠の赤い客車

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西武多摩湖線の終点西武遊園地 2010.04.30

西武遊園地の駅を降り階段を登ると西武遊園地ではなく「西武園ゆうえんち」がある.

「西武園ゆうえんち」内のレストラン施設に使われていた蒸機527列車. 2011.04.28

遊園地の中にあった元井笠のダブルルーフ客車4両E31~34.
この時の客車のN0表示は全て31であり、客車細部の相違点から
元井笠のホハは左からホハ5+ホハ10+ホハ2+ホハ6と推定される.


「レストランぽっぽ」に使われていた客車4両は井笠時代から1両1両 細部が微妙に異なる.

1984年5月お別れ運転の時の元井笠ダブルルーフ客車4両 E31~E34. 西武遊園地駅
これがそのままレストランに使われた.

こちらは元井笠のシングルルーフ客車4両 E35~E38.
この中の2両は元井笠のホハ18、19で神高鉄道(神辺~高屋間)からの引継車であった.

西武池袋線 引退迫る101系

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西武鉄道本線の101系は新宿線ではとっくに消滅してしまい、残された池袋線でも
遂に年内一杯で消えるそうです。そこで今回初めて池袋線で101系を狙ってみました。
本日午前中に撮れたのはこんなところで、まずはその日の運用と撮影場所の確認でした。
明日はこの通りはやって来ないのでしょう。
101系の運用は日々替わるようで下調べした予測は外ればかり。


朝の下り2111レ 急行飯能行   西所沢-小手指 2012.11.01

朝の下り4217レ 準急小手指行 西所沢-小手指
久しぶりに見たベストの101系2+8 (標準色)

下り2+2回送(狭山線用)  西所沢-小手指

上り2126レ 急行池袋行  西所沢-小手指

下り4121レ 準急飯能行  小手指
101系はこの角度で撮るとどうも締りがありません。

井笠鉄道 元神高鉄道の車両

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昭和42年3月末で廃線となった井笠鉄道神辺支線(井原~神辺)の高屋~神辺間は、その昔「神高鉄道」であった。井笠で見る事が出来た元神高鉄道は3両のガソ単車ジ14~16と2両の木造客車ホハ18、19で、これら5両は井笠鉄道になる1940年以前から井笠支線との相互乗り入れが行われていたようです。

1922年 両備軽便鉄道の高屋線(高屋~神辺)7.8Kmが開業
1933年 両備軽便鉄道を鉄道省が買収、後に国鉄福塩線となる
1933年 買収から外された高屋線7.8Kmを引継いで神高鉄道が設立される
1940年 神高鉄道が井笠鉄道へ譲渡され井笠鉄道神辺支線(井原~神辺)11.8Kmとなる


井笠ジ16(1934年日車製)   井原 1962.07.30

井笠ジ14と15(1931年日車製)  くじ場  1967.03.08

  井笠ジ15  くじ場
ジ15のエンジン周り

ジ16の下周り

井笠ホハ19(1925年日車製)  1967.03.08   笠岡

井笠ホハ18、19は元神高鉄道(1925年日車製)で、他の客車より台車サイズが大きく背が高い.
西武山口線にやってきた井笠の客車にシングルルーフが4両あり、その中に2両の元神高鉄道がいた。

西武山口線 井笠1号機

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頚城と井笠の本物のコッペル、それに牽かれる井笠の本物の木造客車。
井笠の1号機とダブルルーフ木造客車の入線で、西武山口線の軽便は最高潮に達する。
東京近郊でこんなコッペルの蒸機列車が5年間も営業運転されたのは
今思えば夢のような出来事だった。


入線2年後の井笠鉄道1号機  西武遊園地   1975.06.01

ユネスコ村  1975.06.01
井笠1号機が牽く井笠のダブルルーフ木造客車は夢のような列車だった.
軽便蒸機列車は子供達にどんな思い出を残したのでしょうか.

西武山口線ではこの編成がベストだったでしょう.  ユネスコ村

頚城2号機と井笠1号機の列車交換

朝顔カプラーの連結作業

井笠鉄道の春

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小平井ー大井村    1967.03.08   クリック拡大
真青な空、心地よい春の陽差し、湖面に映る赤と緑の列車、
勾配を駆け下りてきた軽便の軽やかなジョイント音、
枯れ草に寝転んで目の前を通過する軽便列車を眺めていると
春を迎えた井笠鉄道は正に絵に描いたような光景であった
あれから45年が過ぎる


この井笠のダブルルーフ木造客車は井笠鉄道が廃線後4両が西武山口線へ移籍し、井笠鉄道→西武山口線→西武園内レストラン→2両がまきば線へ引き取られた。1913(大正2)年生まれの木造客車は様々な遍歴を経て間もなく車齢100年を迎える。大変な鉄道文化遺産だ。


西武池袋線 101系 秋の陽を浴びて

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秋晴れの日、昼前の柔らかな陽を浴び緑多き沿線を行く。

下り2123レ 急行飯能行 元加治-飯能  2012.11.07

上り2136レ 急行池袋行  元加治-飯能  2012.11.07



御坊臨港鉄道 西御坊~日高川

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本鉄道について2010年6月3日に御坊臨港鉄道(紀州鉄道) で簡単に紹介したことがあります。
あの時は手元にあった数枚の紙焼きをスキャンしただけでしたが、今回はネガを全てスキャンしてみました。

営業キロ数たった3.4Kmの「海辺の小鉄道」であったが意外に変化に富んだ風景であった。
1964年に訪問した時は現在の終点「西御坊」から先 西御坊-日高川間がまだ営業していて、
御坊市街の家並みの軒をかすめて走る区間はまるで箱庭のような鉄道であった。

西御坊駅の風景  1964.07.09

街中をゴソゴソ走るDB2012(森製作所製)  西御坊-日高川 


レンガ塀と素朴な踏切のある風景
御坊市街の家並みの中を気動車が行く.西御坊-日高川
小さな踏切小屋の向こうに廃駅となった日出紡績前らしい小さなホーム跡が見える.
こんな箱庭のような西御坊-日高川間は1989(平成元)年に消えた.

家並みを抜けて田圃の脇を行く区間は紀伊御坊~西御坊だったかもしれません.

DB2012が単行でやって来た.

御坊臨港鉄道 終点日高川

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御坊臨港鉄道の西御坊から先 日高川までを現在の地図上に赤で記してみました.
日高川の駅全景. 1964.07.09
日高川の手前で線路は終わり、右手に日高川を渡る熊野街道の天田橋が見える.
日高川上流に日高材の産地があり、河口にある御坊市には製材・製紙業が多かったそうである。




日高川の駅  
駅周囲には木材が積み上げられ雑然としていた.
ここにあった機関庫は戦災で破壊され西御坊へ移転したが日高川氾濫で水没し
災害続きの機関庫は紀伊御坊構内へ移転され屋根なし機関庫となった.

街外れにある日高川駅の駅前はひと気なく閑散としていた.

御坊臨港鉄道 御坊~紀伊御坊

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紀伊御坊の構内には車庫代わりに様々な車両が留置され、注目は元芸備鉄道キハニ19の大型キハ40801と、元富南鉄道キハ3の小型キハ103であった。この2両は当時の地方私鉄ではよく見掛けた両端に荷台を備えたタイプで、いかにも御坊臨港鉄道らしいキハであったが大型のキハ40801が多客時に出動するくらいでキハ103は使われていなかった。

大型のキハ40801  紀伊御坊  1964.07.09 クリックで拡大
小ぶりなキハ103. 既にエンジンは外されている

キハ308の隣に荷台付キハ40801が休んでいる. 紀伊御坊駅

下校時間の紀伊御坊駅  1964.07.09
日中は元国鉄41000形のキハ308が御坊-日高川間をのんびりと往復するが、
下校時間になると駅は高校生で賑わってきた.

紀伊の山並みを背景に田んぼを行くキハ308の単行.

下校時間になると紀伊御坊にいた荷台付キハを増結して40801+308で御坊へ向かう.
高校生が荷台まで溢れている.
右にカーブすると国鉄紀伊本線の御坊駅に到着する. クリックで拡大


DB2012 立山重工製蒸機B20形の足回りを利用した森製作所製デーゼルロコ

DB158+キハ103

DB158  元B形蒸機をディーゼル化した森製作所らしい凸型ロコ
キハ103(元富南鉄道キハ3)

西武池袋線 101系 元加治

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11月9日この日も秋晴れ、元加治にて今年で最後の101系を

仏子-元加治   2012.11.09  クリックで拡大

元加治-飯能

元加治

元加治

南紀の小鉄道 有田鉄道

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2010年6月2日にアップした有田鉄道に画像を追加して作り直しました。

紀伊本線の藤並駅から有田川上流の金屋口までを結んでいた有田鉄道。廃線が2002年とは意外でよく生き続けた小鉄道であった。1964年に見た車両や施設はその後大きく変貌し、2002年廃線時の有田鉄道とはかなりイメージが異なる鉄道であった。
あまり話題にならない地味鉄道であったが、地元有田川町では鉄道施設や車両の保存活動が活発で、2010年3月に立派な「有田川町鉄道交流館」がオープンしている。

有田鉄道 藤並駅の光景.   1964.07.09   クリックで拡大
紀伊本線のホームに降りるとそこに有田鉄道の改札口があった.

この日はキハ210が活躍していた.  藤並
元国鉄42000を昭和27年に払い下げを受けた.

キハ210に乗ってやってきた金屋口の駅はここも木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.

終着駅金屋口の全景

スマートなキハ250
山鹿温泉鉄道の注文流れ品で昭和29富士車両製の新製気動車.

こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.

有田川が流れる金屋町の玄関金屋口の駅前風景

和歌山界隈

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御坊臨港鉄道、有田鉄道と非電化小鉄道があった紀伊本線を和歌山市方面へ向かうと野上電鉄、南海和歌山軌道線があった海南駅に着く。駅前で和歌山軌道線に乗って東和歌山に行くと、そこには良き時代の南海貴志川線が走っていた。
こんな和歌山界隈ではいつも東和歌山の駅前旅館に一泊し、朝の東和歌山駅前の光景を撮るのが楽しみであった。

雨降る夕暮れ時の海南駅前.  1964.07.09
駅前の電停には市駅(紀伊本線和歌山市駅)行き電車が待っていた.

海南駅前と和歌山市・東和歌山を結ぶ和歌山軌道線. 1965.08.04

早朝の東和歌山駅前.これから通勤・通学の時間帯を迎える. 1964.07.10

新和歌浦行きの電車.  東和歌山

人も車も閑散とした静かな早朝風景. 北の新地

西武新宿線 101系の思い出

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西武池袋線で最後を迎えた101系2+8連は2編成で、先週遂に1編成が運用離脱したとのこと。
これで残る2+8連はリバイバル・ツートンカラー2連付の1編成のみということに。
遂に標準カラーの2+8連は永遠に見れなくなってしまったようだ。

西武新宿線で101系2+8連の魅力に気付いたのが4年前2008年4月の雨の朝のことであった。
朝9時25分に通過する上り急行西武新宿行。
いつもは川越側につく2連がこの日は新宿側につき、先頭2丁パンタ車の編成となった。

先頭に連結されたスカート無しの野性味溢れる285Fの2連。
雨の中を朝の通勤客を満載し轟音たてて100Km/hで通過して行った。
この時の感動・感激が病みつきになってしまった。
翌日の2連はまた川越側についてしまい、先頭2丁パンタ車は次にいつ登場するかは判らない。
こんな朝の101系の楽しみも新宿線からはとっくに消えて、101系2+8連は池袋線で最後を迎えていた。

 雨の武蔵関を通過する101系前パン編成    2008.04.24  
311F(8連)+285F(2連)→西武新宿



朝の東和歌山駅前1

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2010年6日9日アップの「朝の東和歌山駅前」をネガからスキャンし直しました。

朝の東和歌山駅前に人が多くなり、和歌山軌道線の電車が次から次とやって来ると駅前は通勤・通学客で賑わい始める。この駅前大通りには当時の商店の佇まい、ボンネットバス、路面電車、通勤・通学客の賑わい、など魅力満載の朝の光景であった。

朝の東和歌山駅前通りで一つ目ライトの小型200形が魅力的. 1964.07.10 クリックで拡大

東和歌山駅前のメイン通りには映画館や大衆食堂の看板が見え、
この頃走っていたボンネットバスが時代を感じさせる.

朝の通学時間にやってきた腰高古参500形とボンネットバスの顔合わせが魅力的だ.
小さな路面電車にとても乗り切れない高校生で、朝は電車総動員なのだろう.

次々と朝の駅前にやってくる小さな200形. 東和歌山

魅力的な500形

朝の東和歌山駅前2

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朝の東和歌山駅前をオリンパスペンSで撮ったものです。
前回の高校生通学ラッシュの前で通勤時間帯のようです。

まるで戦後のような雰囲気を残す朝の東和歌山駅前. 1964.07.10  クリックで拡大

看板「ホテルたちばな」裏の建物(阪和ホテル)と、古びた単車のとり合わせが終戦直後のよう.

この時間は高校生通学ラッシュの前なのでしょう.

別の角度から見ると駅前風景も違って見える.左手が国鉄東和歌山駅

何を見ているのか傘を抱いた高校生が一人



朝のラッシュにはこんな電車が出動し、東和歌山から市駅や車庫前を往復する.
100形(101)大正14年梅鉢鉄工所製
車庫行きの500形(506)に、この後どっと女子高生が乗り込む.
元南海軌道線の大正10年製車体に、南海鉄道線ブリル27GE1を履かせた背の高い電車.

東和歌山駅前の今昔

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あの「朝の東和歌山駅前」の光景を撮った1964年の4年後に東和歌山駅(現和歌山駅)の駅ビルが完成し、駅前が整備されたものの、その3年後(1971年4月)に和歌山軌道線は全廃されてしまったようです。
そんな駅前風景の今は一体どんなに変貌したのか例によってGoogleスリートビューで現在の和歌山駅前通りに立ってみました。

和歌山駅前交叉点からJR和歌山駅を見る
JR和歌山駅西口を一直線に延びる今の駅前通り「けやき大通り」。路面電車やボンネットバスが発着し高校生が溢れていたあの朝の駅前風景がここにあった。まるで戦後の面影残すような駅前風景であったので現在との落差があまりにも大きい。

和歌山駅前交叉点から見た西に延びる「けやき大通り」
駅前から「けやき大通り」を少し進むと和歌山駅前交叉点で国体道路と交わる。和歌山軌道線はこの「けやき大通り」を一直線に走っていた。昔、この辺りに紀陽銀行のビルがあったが今も丸い建物の中に紀陽銀行東和歌山支店があるようだ。

駅前の先でSカーブするところが今の国体道路との交叉点でしょう。1964.07.10
今の「けやき大通り」は昔もだだっ広い道路であった。路面電車の背後に紀陽銀行のビルが見える。



西武5号機 修復完成記念披露会

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本日のイベント「西武鉄道100年 アニバーサリーイベントin保谷」は天気に恵まれ大変な人出であった。
旧保谷車両基地には朝から長蛇の列で、鉄道イベントは幅広い世代に人気のようだ。

今回の目玉である修復された西武5号機は、1897(明治30)年に川越鉄道が購入し、その後同形6号機と伴に西武鉄道川越線、多摩川線で昭和32年まで使用されたそうである。
昭和34年7月には5号機、昭和37年3月に6号機が上武鉄道(元日本ニッケル鉄道)に貸与されている。

50年前の遠い昔に西武化学の工場構内で西陽を浴びて鈍く光る5号機のことが思い起こされる。

西武5号機 1896年ナスミスウィルソン製. 保谷 2012.11.25

5号機とE11型

 E11型12
是政線で働いていたE12  白糸台 1963.05.19
是政線 武蔵境駅

50年前の訪問記 上武鉄道の英国系蒸機
上武鉄道に貸与されていた時代の5号機と6号機.  西武化学工場内 1962.12.23
この時 6号機は入線後9ヵ月で現役であった.

5号機  1896年ナスミスウィルソン製

6号機  1902年ナスミスウィルソン製
西陽を浴びた現役古典蒸機

嵐山線 昭和39年の京都

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昭和39年7月の早朝に東和歌山駅前を撮ってから阪和線で天王寺へ向かった。
私鉄電車ファンで鉄仲間の IさんとMarimoさんの二人に梅田駅で合流。
この時は関西私鉄を撮るのが目的で、私にとって関西大私鉄訪問はとても珍しいことであった。
この時のことは全く記憶になく、乗車券出費メモからすると阪急京都線を桂あたりで撮ったようで、
その前に京福嵐山線のこんな光景が写っていた。


四条大宮   1964.07.10



ダイハツ・ミゼットMP4型


専用軌道区間を走る嵐山線

三条口で京都市電西大路線と交差する.

三条通りを島津製作所前を行く

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