これらカラーは百間町から飯室まで歩いて撮影したものです。
1968年10月に新黒井-百間町間、飯室-浦川原間を廃止し信越本線との接続を断たれた頸城鉄道。
残された区間(百間町~飯室)5.9kmをホジが1日9往復していて効率的に撮ることができた。
この沿線には保倉川が流れ、農業用水路が流れ、ハザ木があり、集落がありそんな頸城平野の生活感が溢れていた。
1971年5月まで残存区間を走った3年間はそれまでとは違った頸城鉄道の魅力だったのかも知れない。
早朝の明治村駅に朝日がさす。
これらカラーは百間町から飯室まで歩いて撮影したものです。
1968年10月に新黒井-百間町間、飯室-浦川原間を廃止し信越本線との接続を断たれた頸城鉄道。
残された区間(百間町~飯室)5.9kmをホジが1日9往復していて効率的に撮ることができた。
この沿線には保倉川が流れ、農業用水路が流れ、ハザ木があり、集落がありそんな頸城平野の生活感が溢れていた。
1971年5月まで残存区間を走った3年間はそれまでとは違った頸城鉄道の魅力だったのかも知れない。