Quantcast
Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
Viewing all 1158 articles
Browse latest View live

「竜鉄の歴史を探る」パネル展

$
0
0
こんなパネル展が開催されます。
関東鉄道竜ヶ崎線の歴史について龍ヶ崎市内の2箇所の会場でパネル展示。
鹿島参宮鉄道時代(~1965年5月)の竜ケ崎線に力を入れた展示だそうです。

主催:竜ヶ崎市地域公共交通活性化協議会
企画:茨城県立竜ヶ崎第一高等学校
協力:愛国学園竜ヶ崎高等学校 茨城県立竜ヶ崎第二高等学校
開催日:平成30年11月23日  詳細は下記ポスター参照。

そして家庭用スキャナ(GTX970)でスキャンした画像が巨大パネルにプリントされる。
A0以上もプリントできるプリンターを購入し、A1やA0パネルが展示されるようです。
これまでの常識を覆すプリント、これには興味深々!!
家庭用スキャナのスキャンデータでここまでプリントできる見本が見れるかも。



伊豆箱根鉄道軌道線 モハ7

$
0
0
昨日から本日まで吉祥寺で開催中の鉄道模型コラボ展に、伊豆箱根の単車モハ7が出展されていました。
城東電軌さんでは数年前から1/87で車体と台車のエツチング板を発売しているそうです。
伊豆箱根鉄道モハ7を調べてみるとS28年に休車になってS38年廃車でした。
城東電軌さんの製品化は毎度大変に欲しくなる題材ばかりで目が離せません。
1/80 13mmゲージなら完成品(あれば)迷わず買います。



渋い伊豆箱根ツートンカラーでした。

鉄道ピクトリアル 最後の広告です。

$
0
0
鉄道ピクトリアル誌毎号に掲載されてきました写真集「地方私鉄1960年代の回想」の広告も、本日発売の鉄道ピクトリアル1月号(No.955)が最後の広告となりました。皆さまのお蔭で、まもなく売り切れ、ほんとうにありがとうこざいました。




竜ヶ崎線 龍ヶ崎機関区

$
0
0
昨日は半世紀ぶりに訪問した竜ヶ崎線で、良き時代の龍ヶ崎機関区を偲びました。

撮影:1962年3月、1963年8月

龍ヶ崎機関区 1963.8.17

龍ヶ崎機関区の佇まい。

井戸の隣にあった機関区の現状。

給水塔の脇にあった井戸の遺構。




 1962年の竜ヶ崎駅。

竜ヶ崎駅前の今、やはり北関東の空は青くて広い。

「竜鉄の歴史を探る」パネル展

$
0
0
さて本題の「竜鉄の歴史を探る」パネル展ですが、素晴らしい内容でした。ここまでやる高校生の活動も珍しいのでは。
そして7万都市龍ヶ崎の「いがっペ市」の活気もたいへんなもので、この街の活気が竜ヶ崎線を盛り上げている感じでした。
ところで、写真パネルの仕上がりは、今回はあくまで展示会用のプリントであり写真展の写真パネル仕上がりとは別物、私の勘違いでした。

撮影:2018.11.23
竜ヶ崎駅では関鉄レールメイト二人のお出迎え。

県立竜ヶ崎第一第一高校によるイベントスタートの挨拶。竜ヶ崎駅

街の中心部をパネル展へ移動。

「いがっぺ市」で賑わう街の中にあった2箇所のパネル展会場。

 竜ヶ崎線の歴史を纏めたパネルや現物展示。

む~さんの竜ヶ崎駅配線図


「いがっぺ市」で賑わう龍ヶ崎のメインストリート。

竜ヶ崎線のハフ2

$
0
0
先日の竜ヶ崎線の展示に非電化地方私鉄がお好きなTomiiさんが持参したハフ2のこと。

    Tomiiさんの竜ヶ崎線ハフ2
    竜ケ崎線ハフ2が完成しました。デッキに佇む女学生(女子高生などとはいいません)と、みかん箱がなかなかいい雰囲気になりました。FBの本人コメントより。
    モデルワークスのペーパーキットを組み立てた、竜ケ崎線ハフ2、カラーリングは
    Tomii自社カラーリングとのこと。

当時、竜ケ崎駅の奥まったところにハフ2がいました。1962年3月

初めてのマイカメラでいきなり撮ったのがハフ2の細部。今では周辺の風景の方が気になります。


美しい雄勝線

$
0
0
雄物川を渡った先、雄勝平野の美しい一面緑の田んぼの中で朝の列車を待っていると、下りと上りの列車がのんびりとやってきた。ほんとうに美しい光景であった。


羽後山田を発車した梺行列車。羽後山田ー貝沢 1964.8.6

二つ先の羽後三輪で交換した湯沢行列車がやって来た。羽後山田ー貝沢


西武新宿線 拝島ライナー

$
0
0
昨夜は話題の新型電車を初めて間近で見ましたが中々新鮮な感じでした。
一体、S-TRAINと拝島ライナーは何が違うのか、案内を読んでこれも初めて知りました。
拝島ライナーは新型車両40000系を使った昔の拝島快速の復活ということか。


初めて撮った西武新型40000系 西武新宿 2018.12.13

これが通勤車のクロスシートですか。

昔の拝島快速 2010年3月

昨夜は鯨川地方鉄道の最新作を眺めて鉄談義忘年会でした。

12年前(写真展)の写真を持ってきてくれたcedarさん。chitetsuさん撮影

写真展以来よく来る一角。


花巻電鉄軌道線 朝の中根古

$
0
0
先日の鉄談義で話題となった花巻電鉄軌道線の中根古あたり、田辺さんが望遠で撮った風景を紹介します。
中山街道は非舗装路で朝のラッシュ時でもクルマは少なく、トレーラ2両を牽いた電車は満員であった。道路にはオートバイや歩く人でクルマ時代到来の直前、昭和41年の軌道線にまだ活気があった。

撮影:田辺多知夫 1966.3.3
朝、花巻へ向かう電車は満員で道路にクルマは滅多に来ない。道路には徒歩の小学生、親子連れ、自転車と朝の中山街道はのどかであった。 中根古-石神

のどかな花巻風景。 中根古-石神

カーブのところにある「中根古」を過ぎ西鉛温泉に向かう電車。中根古

中山街道のクルマと人影 中根古

ドロの中山街道 石神-西公園

花巻電鉄鉄道線

$
0
0
夏と春の花巻電鉄鉄道線で、未掲載の画像を集めてみました。
軌道線とは異なり格式高い?花巻温泉に通う鉄道線は古さを感じさせない立派な路線であった。電車も近代的で新しい。

春の陽を浴び冬枯れの木立を行く。1966.3.3

夏の日の夕方、満員電車が花巻温泉に向かう。 1964.8.3

春の陽を浴びて。 1966.3.3

春 花巻駅を出るとすぐに左にカーブする。1966.3.3

夏 花巻温泉街の玄関にふさわしい立派な花巻温泉駅であった。(既出)   1964.8.3
昭和39年、温泉通いの軽便がまだ賑わっていた華やかな時代。

春  遠くに残雪の山並みを望む。 1966.3.3 撮影:田辺多知夫

京福電鉄三国芦原線。 三国港

$
0
0
三国港ー芦原 1968.1.14
2010年に「東尋坊へ向かう電車」そして2011年に「京福電鉄 永平寺から東尋坊へ」をアップしてから8年が経ちました。
終点三国港の写真を今、改めて眺めてみると、この8年の自分の感覚の変化で北陸の海辺の駅や民家が一段と魅力的に見えてきました。現在では綺麗に整備されて、写真に残るこの頃の味わいは時代の進化と伴に益々深まっていくのでしょう。

松林の中に点在する建屋。三国芦原線の終着駅 三国港

海辺の駅、三国港駅

駅のすぐ裏に三国港と日本海が迫ってくる。

三国港の駅前

目前に荒れ狂う日本海が拡がる終着駅の全景。この先に東尋坊がある。

美流渡の2146

$
0
0
昨夜、chitetsuさんの新作16番B6(2120形)を見せてもらい、堪らず田辺さんが撮った美流渡の風景を見てみたくなりました。写真は北星炭礦美流渡礦専用鉄道で動いていたB6と風景です。

撮影:田辺多知夫 1965.7.27
いいですね、美流渡の炭鉱町風景。

B6の背後に写った炭鉱町。

2120型2146と表示されたナンバプレート 

銘板はノース・ブリティッシュ・ロコモティブ1903年製だか、この銘板はおかしくダブス1898年製のはずという説があり。いずれにしても英国製の2120形。

電車モデラーchitetsuさんが作った蒸機B6、モデルにしたのは三美運輸仕様とか。

美流渡の2146 (2) 

$
0
0


撮影:田辺多知夫 1965.7.27

給水のひととき

コールバンカーが改造され屋根上にも石炭が載っている。


新年

$
0
0
今年もよろしくお願いいたします。

昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。
2010年に始めたブログも9年がたち、今年は10年目に入ります。

京福電鉄福井支社 三国芦原線  芦原 1968.1.15
国鉄三国線の線路が終わるところ。

昨年は写真集の発刊、トークショウ、写真展、軽便祭講演会とすべて「地方私鉄 1960年代の回想」に絡んだ出版とイベントが続きました。写真展やイベントでは本ブログを見て戴いている沢山の方々にご来場いただき、本当にありがとうございました。皆さまのお蔭で盛況のうちに昨年1年が無事終わりました。

写真展、イベントでは沢山の方々からブログを見ていますと声を掛けていただき、驚きとともにブログしっかりせねばの責任を感じます。
この1年どうかよろしくお願いいたします。


美流渡の2146(3)

$
0
0
田辺さんが撮った美流渡のB6で、背後に写った炭鉱町や鉄道施設はこれ以上なかったので美流渡に到着するまでの2日間を何枚かアップしてみます。

撮影:田辺多知夫 1965.7.26~27
憧れの藤田炭鉱小石を訪問したのが7月26日

 翌7月27日は三菱鉱業美唄鉄道を訪問。ここでは北海道炭鉱蒸機の洗礼を受けたことでしょう。美唄


美唄から常盤台まで走っていた三菱鉱業美唄鉄道の盤ノ沢駅 

そして美唄を訪問した7月27日に美流渡まで足を運んでいる。
ここでB6のアップを撮りまくる。


大分交通耶馬渓線 羅漢寺

$
0
0
最近、facebookで耶馬渓線の廃線跡の今が紹介されましたが、
耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。
今回の写真集や写真展で使わなかった羅漢寺の写真を並べてみます。

羅漢寺駅に降りて行動した時の記録は全くないが、雨上がりの羅漢寺から山国川沿いにひと気が無かったのが印象に残る。一大観光地ながら観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄ファンに出会うこともまずない時代であった。

撮影:1967.3.5
背後に耶馬渓の競秀峰がそそり立つ素晴らしい雨上がりの羅漢寺駅であった。

写真集のあと書きに使う写真の候補として残った1枚。車両は小さく、空は広く写った写真はなかなか無いもので、まえ書きやあと書きに使う写真には苦労した。

写真展で全紙や全倍に引伸ばすのも車両が大きくては使い物にならない。
下の3枚も車両写真であり写真集では使えなかった。ましてや写真展で大きく引伸ばすのには全く使えない。車両写真はあくまで資料でしかない。

羅漢寺に到着した「やまばと」号
悲しいかな、中津を出てすぐに運転席のワイパーのブレードがすっ飛んで無くなってしまった。雨で運転手は前方が見にくかったことだろう。

中津からやってきた列車はここで片ボギー車を切り離す。次駅が「かぶしの」

梅が咲いていた羅漢寺駅周辺

山国川ぞいに次の冠石野へ向かう絶景. 羅漢寺-冠石野
この区間を縦横と何枚も撮った中の1枚。


大分交通耶馬渓線 車両の坩堝1

$
0
0
大分交通の非電化路線は昭和40年8月に宇佐参宮線、昭和41年4月に国東線が廃線となり、昭和42年の耶馬渓線 中津車庫には各線の残党が集まり奇怪な車両の坩堝であった。多くのファンが日豊本線中津駅から耶馬渓線の車両を撮ったことでしょう。

撮影:1967.3.5
日豊本線 中津

中津の3番線が耶馬渓線のりば

昭和42年の中津の車庫には、蒸機2両、DL3両、気動車13両、客車19両、貨車16両の計53両が在籍していた。余りに奇怪な車両が多く懸命に撮りまくって疲れ果ててしまった。


  参考:「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝2

$
0
0
中津の奇怪な車両群でまず目についたのが驚きのホハフ101、102、103の客車であった。
昭和40年8月の宇佐参宮線廃止による余剰客車から、比較的程度のよいものを耶馬渓線に転属させ、混合列車の輸送力増強とともに2軸車の取り替えに引き当てられたそうだ。

愉快なのはボギー台車のオーバハングの関係から101、102は横揺れが激しく予備車になり下がってホハ103のみが元気に走っていたそうだ。
(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第8分冊より)

 ホハフ102と101は宇佐参宮線より転属。
二軸、ボギーどちらにも対応できるように設計された驚きの客車。

ホハフ102と同形のホハフ101

ホハフ101(右)を真横から見ると、なんとアンバランスな台車とオーバハング。そしてなんと繊細なアーチバー台車と松葉スポーク車輪。こんな客車に乗ってみたかった。 

そして 宇佐参宮線より転属してきたホハフ103。この台車の位置はバランスがとれている。車体が小さいせいか車輪径がとても大きく見える。

ハフ16(宇佐参宮鉄道 昭6年雨宮鉄工所製ガソリンカー)

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝3

$
0
0
耶馬渓線の蒸機全盛期は昭和24年の8両で、訪問した昭和42年3月はクラウスの1444と4の2両の蒸機が在籍していた。昭和41年の国東線廃止によりDL2両が入線し、この蒸機2両は予備機となって中津車庫に眠っていた。

撮影:1967.3.5 中津車庫
 1444号機(省1440形式C級機) その奥に4号機

4号機(省1400形式C級機)

「せせらぎ」キハ105 (元北九州鉄道 昭和11年汽車支店製)
と国東線からやって来た近代型DCキハ604




大分交通耶馬渓線 車両の坩堝4

$
0
0
この車両の坩堝にいた車両を全て紹介すると車両図鑑になってしまうのでほどほどにしておきます。鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」でも写真がない車両がけっこうあり、丸出しでないところに反って魅力を感じたものです。

昭和42年の訪問時に稼働していた客車で気になったのは、羅漢寺で見た混合列車の客車は一体何だったのか?  中津に戻ってきて客車が留置されていた場所からするとこの客車だったのでしょう。

羅漢寺で見た混合列車の客車2両

撮影:1967.3.5 中津車庫
ホハ2

羅漢寺で見た2両はこのホハフ30+ホハ2と思われる。

中津へ帰ってきた混合列車で客車はホハフ30+ホハ2。

あとから2両を増結したのか古典客車とガソリンカー崩れの見事な編成。
左からホハフ30+ホハ2+ホハフ32+ハフ27、模型だったらこれをクラウスに牽かせるでしょう。

そして盛んに活躍していたのが片ボギー車ハニフ12とハフ13

ハニフ12

参考: 鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第8分冊 大分交通耶馬渓線 谷口良忠 著
Viewing all 1158 articles
Browse latest View live




Latest Images