今回「地方私鉄 失われた情景」を出版してネットやメールでいろいろ感想を頂戴しました。その中で同じ機芸出版社から出版された有名な「鉄道風景30題」の著者 河田耕一さんから戴いたコメントの一部を紹介させてもらいます。
「写真に出てくる人たちの生活は鉄道によっていました。それは懐かしい風景であり、商店街、映画館、
琺瑯看板、助産院
、食堂があり、子どもたちがお出かけ服装で乗っています。鉄道も苦しい経営ながら、他の鉄道が不要になった車両を譲り受け、ぼろぼろになるまで使っています」との記述。
河田さんのコメントで、私はあの時代のまるでジオラマのような情景は、懸命に生き延びてきた小鉄道と人々の賑わいある生活から、あの時代の社会の縮図であるのに気付きました。
払い下げ車両を自社工場で改造するのは栃尾線、貴志川線、野上電鉄、淡路交通などで盛んでに行われていて懸命に生き延びてきた小鉄道の車両が目に浮かびます。
なぜあの時代の写真やジオラマの情景に魅力を感じるのか? 一般の人々にとっては単なる懐かしい昭和の風景に過ぎないが、地方私鉄ファンにとってはあの時代の車両、鉄道施設、家並み、人々などが入った情景に、今の鉄道にはない味わいを感じるせいではないでしょうか。
越後交通栃尾線 長岡工場内で改装中の元草軽客車。1964.3.22 1967年11月に車庫・車両工場が下長岡に移転するまで、このような車両工場で次から次と奇怪な車両が生まれて来た。まるで縮尺1/1の模型のような電車もあった。
栃尾線の吊り掛け式モハ217の1M3T編成で、元草軽の電車をサハに改造し総括制御編成に組みこんだ栃尾線近代化の時代。1975.03.08
貴志川線 伊太祁曽の小さな車両工場. 1965.8.4
庫内に休むモハ202と奥には改装中の小型電車らしき2両が見える。ここでもガソリンカーの電車化改造を数々やってきた。朝の通勤列車 東和歌山 (モハ201+クハ803+モハ202)
ドアを開け放した夏の通勤電車は満員で東和歌山に到着する.元ガソリンカーだった電車の3両編成はとびきり魅力的であった。これらの車両の魅力だけでも情景となる。
野上電鉄の日方車庫.1965.8.4
数々のガソリンカーの電車化は見事でその後、関西大手私鉄の払下げ車をネタに手持ち中古部品を組合わせて多くの野上仕様に仕上げてきた日方車庫。
淡路交通の庫内風景. 1965.8.2
様々な電車化や自社開発を手がけて来た淡路交通の車両工場。南海払下げ車の車体交換の他は殆どの車両がカソリンカーを改造した電車であった。
どの電車もガソリンカーの改造車で、モハ2007は2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車にプロペラシャフトで駆動する直角カルダン駆動方式。