三井埠頭の過去記事より.公開日2011.8.16
高度成長期が本格化した昭和38年、川崎工業地帯は工場の吐きだす煙でいつもかすんでいた。
古いものは消え新しい社会へとスタートした時代。構内搬送で活躍してきた蒸機もディーゼル機化へと急激に様変わりして行った。昭和38~39年頃の三井埠頭では1号、5号、7号機の中で5号機が主に動いていた。三井埠頭だけは稼働現場の撮影が許可され、自由に撮らせてもらえた風景はこんなであった。
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小さな機関庫の前で 三井埠頭 1号機. 1964.12.25
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参考文献引用 臼井茂信著: 機関車の系譜図3 交友社
高度成長期が本格化した昭和38年、川崎工業地帯は工場の吐きだす煙でいつもかすんでいた。
古いものは消え新しい社会へとスタートした時代。構内搬送で活躍してきた蒸機もディーゼル機化へと急激に様変わりして行った。昭和38~39年頃の三井埠頭では1号、5号、7号機の中で5号機が主に動いていた。三井埠頭だけは稼働現場の撮影が許可され、自由に撮らせてもらえた風景はこんなであった。

三井埠頭 5号機 1964.12.25


この5号機は汽車製造1924年製で汽車製造の地方私鉄向けCタンクの基準となった相模鉄道向け4両の内の1両で、相模→国鉄→東野→三井埠頭という経歴を持っている。
動輪が少し大きい南薩5号機Cタンク、これに先従輪付とした神中3号機とともに地方私鉄タイプのタンク機として模型でもよく知られた蒸機である。一連の汽車製造の小型タンク機でキャブの窓の独特なR形状が耶馬渓鉄道10号機と同じである。
昭和39年12月は運よく1号機が動いていた。
ピーコック5500形を2B1形タンク機に改造したB10形(小湊鉄道に保存)のような英国系2B形テンダの改造機のようであるが正確なところはよく判らない。

小さな機関庫の前で 三井埠頭 1号機. 1964.12.25

参考文献引用 臼井茂信著: 機関車の系譜図3 交友社