鉾田線を訪問したのは夏休みも終わる1966(昭和41)年の8月末であった。
石岡駅構内には元東横キハ42200形、びわこ型キハ201などが休み、その先に石岡機関区の看板が掛かった木造2階建ての事務所があり、補修の付属工場とピットがある検収庫が事務所と一体になっていた。
この石岡機関区付属工場こそがベルトとプーリによる動力伝達機構、古い工作機械など歴史的遺産を備えた工場で、2007年3月の鹿島鉄道廃線まで歴史的な設備が使われていた。
石岡駅構内には元東横キハ42200形、びわこ型キハ201などが休み、その先に石岡機関区の看板が掛かった木造2階建ての事務所があり、補修の付属工場とピットがある検収庫が事務所と一体になっていた。
この石岡機関区付属工場こそがベルトとプーリによる動力伝達機構、古い工作機械など歴史的遺産を備えた工場で、2007年3月の鹿島鉄道廃線まで歴史的な設備が使われていた。
石岡機関区の建屋を撮ったのはこの写真のみであった. 1966.08.28
左奥にクラウスがいた機関庫がある.
左奥にクラウスがいた機関庫がある.
入口に「石岡機関区」の看板を掲げた木造二階建ての事務所.
キハが休む向こうに石岡機関区が見える.
びわこ型キハ201や元東横キハ42201が休む石岡構内
給水塔などがある一角