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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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関東鉄道鉾田線 石岡機関区

鉾田線を訪問したのは夏休みも終わる1966(昭和41)年の8月末であった。石岡駅構内には元東横キハ42200形、びわこ型キハ201などが休み、その先に石岡機関区の看板が掛かった木造2階建ての事務所があり、補修の付属工場とピットがある検収庫が事務所と一体になっていた。この石岡機関区付属工場こそがベルトとプーリによる動力伝達機構、古い工作機械など歴史的遺産を備えた工場で、2007年3月の鹿島鉄道廃線まで...

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鹿島鉄道 石岡機関区

次に石岡を訪ねたのは1966年から41年が過ぎた2007年春のことであった。関東鉄道鉾田線は鹿島鉄道に変わり、当然昔の車両は殆ど入れ替わっていたが石岡機関区がある石岡駅の佇まいは昔のままであった。そしてあの機関区の建屋も外壁や屋根が張替られていたが形状は昔のままであった。あの頃のびわこ型や元東横キハが居なくなり、平成になってKR500形気動車4両が入線したくらいしか鹿島鉄道のことを知らず関心もなかっ...

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鹿島鉄道 廃線直後の鉾田駅

鹿島鉄道のラストラン2007年3月31日の翌朝に石岡駅構内に戻ってこなかった車両は一体どうなったのか、鹿島鉄道の廃線後を訪ねてみました。廃線から12日が過ぎた桜満開の春爛漫の日、まずは終点鉾田へ。そこには役目を終えたキハ431とキハ601、それにKR-505の3両が留置されていた。鉾田駅に保存する目的がその後いろいろあったようで、この時常陸小川駅に留置(その後搬出)されていた車両を含めて今も無事に保...

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鹿島鉄道 廃線直後の常陸小川駅

鉾田駅の帰りに訪問したのが常陸小川駅で、ここにも石岡へ戻ってこなかった車両が3両留置されていた。石岡には戻らなかったこれらの人気車両は廃線後の引き取り先があったのでしょう。桜咲く頃、心地良い春の陽を浴びて列車がやって来れば最高の撮影日和であるが、もう列車がやって来ることはない。踏切にはロープが貼られ鉄路は死んでいた。  常陸小川...

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鹿島鉄道 気になったキハ714

梅が咲き始める頃 八木薪を行くキハ714. 浜 - 八木薪 2007.03.28銀色の屋根を光らせて通り過ぎたキハ714.    浜 - 八木薪 2007.03.28霞ヶ浦湖畔を行くキハ714....

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小海線 夏の思い出

小海線と言えばC56、そして夏の賑わい。C56は高原の人気物であった。佐久海ノ口  1971.08.14清里駅のC56清里の賑わいとC56   1971.08.15清里駅のC56道路に人と車が溢れた撮影ポイント. 清里 - 野辺山  1971.08.14野辺山  1971.08.15

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小海線 臨時急行「こうみ」

1970年頃から一時期小海線沿線をたびたび訪問していたことがあった。しかし上田丸子電鉄のついでに立寄ったり、八ヶ岳赤岳登山や高原ハイキングで利用したり、沿線をドライブしたりしたりで、小海線をまともに撮る事はなかった。唯一1971年8月14~15日の小海線訪問だけは珍しくC56を目的としてクルマを利用した撮影旅であった。小海線のC56が牽く客車列車は新宿発の季節臨時「八ヶ岳高原」号だけでなく、お盆休み...

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小海線 臨時 「八ヶ岳高原号」

清里の民宿に一泊し、翌日は1日一往復だけ走る臨時「八ヶ岳高原号」を往復とも撮れたがこの時は背後の八ヶ岳が見えず「八ヶ岳高原号」は不発に終わった。この前年には上田丸子と長野電鉄の合間に一日掛けて立寄って上りだけ撮れたがこれも煙吐かずイマイチであった。今思えばお立ち台などには目もくれず視点を変えて小海駅でC56旅客列車を小さく入れた駅風景を気の済むまで撮るべきであった。この頃の小海線C56については「津...

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茨城交通湊線 那珂湊車庫

1972(昭和47)年夏の茨城交通湊線は「海辺の終着駅」で阿字ヶ浦駅風景を紹介したことがあります。この時の湊線は北海道からやって来た暗いえんじ色気動車集団に入れ変わった頃で、これらの車両には全く無関心だったのですが、改めて那珂湊車庫で撮った写真を見てみると活躍の場を失った元茨城交通茨木線の残党や湊線で活躍していた残党がまぎれていました。まずは那珂湊車庫の風景から。1972年夏の那珂湊車庫車庫には元北...

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茨城交通湊線 湘南スタイルの気動車

北海道集団がやってくる以前の茨城交通に所属していた気動車はキハでなくケハと表示され、那珂湊車庫にはケハ401、ケハ402、ケハ45が休んでいた。この日出動していたステンレス車ケハ601を含めこの頃の湊線には地方私鉄らしい湘南スタイルの気動車が3両(ケハ401、402、601)揃っていたわけです。ケハ401  那珂湊...

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奥能登の蒸機列車

1972(昭和47)年の能登半島には国鉄七尾線(津幡~穴水~輪島)と国鉄能登線(穴水~蛸島)があったが、第三セクターの「のと鉄道」になってから穴水~輪島間と穴水~蛸島間が廃線になっている。1972年秋に車で能登半島めぐりをした頃は、半島は奥能登ブームであったようで半島外浦側は女性観光客が多かった。そして国鉄七尾線・能登線にはC11のふるさとSL列車「奥のと号」が走っていてC56の貨物列車もまだ走って...

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能登金剛ともう一つの能登線

能登半島の元国鉄七尾線・能登線のその後は名称の経過が複雑で調べていると大混乱。今走っている鉄路はJRが津幡~七尾~和倉温泉間まで、のと鉄道が七尾~和倉温泉~穴水まで、その他は廃線で消えたという事になるのでしょう。能登半島の鉄道能登半島の東側にある能登金剛と言えば松本清張の「ゼロの焦点」、その能登金剛に近い「三明」までもう一つの能登線である北陸鉄道能登線(羽咋~三明間25.5Km)が何と昭和47年6月...

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小諸で見たC56123

国鉄能登線で見たC56123を小諸で見たのは6年前の1966(昭和41)年夏で、中込区所属のC56123号機であった。七尾区に永く所属し能登で活躍したC56123は一時期小海線中込区に所属していたのだろうか。真夏の白い雲が浮かぶ信州の山並み望む小諸でC56は美しい姿で貨物入替え作業に励んでいた。 機関車データベースより抜粋...

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1/80模型 大人と子供

以前、近鉄四日市駅の内部・八王子線(旧三重電気鉄道)「大人と子供」を紹介したことがありますが、この駅の「大人と子供」対面風景を模型で再現した方からメールを戴きました。模型は近鉄湯の山線が18mmゲージ、内部・八王子線の軽便が9mmゲージで、縮尺1/80。更に13mmゲージがあり1/80...

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花巻電鉄 クルマ社会到来の直前

1960年代前半の地方の道路は幹線や都市部を除けばどこも未舗装でトラックもバスも滅多にやって来なかった。車も来ない砂利道の端をお客を満載した軽便電車が走って行く。花巻電鉄軌道線の昭和39年頃はそんな風景であった。日本がクルマ社会到来で大きく変わるほんの直前、昭和39年頃の地方私鉄は廃線ラッシュであったが、その一方でまだ元気に走っていた路線もあった時代であった。あのクルマ社会到来の直前から50年が経っ...

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国分寺駅と下河原線

1964年に国分寺駅の中央線ホームから撮った1枚の写真に見慣れない国電が。拡大してみると行先表示板には「国分寺」と「東京競馬場前」の文字が読める。これが1973年4月の武蔵野線開業で消えた下河原線(国分寺~北府中~東京競馬場前)の電車ですね。八王子区のハチロクが貨車入替えで盛んに煙を吐いていた頃。中央線国分寺駅3番線下りホームより駅南側を見る....

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九十九里鉄道 キハ102の最後

「九十九里鉄道のあとかた」...

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あれから50年の東京モーターショー2013

サニー、カローラが登場しマイカー時代幕開けとなった東京モーターショー1966から約50年が経った今年の東京モーターショー2013。あの時の人々のクルマへの憧れはすっかり消えたが会場の熱気は50年前と変わらないようだ。マイカー時代幕開けとなった1966(昭41)年の東京モーターショー1966東京モーターショー2013これからの生活の足はEVの時代....

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竜ヶ崎線の小さな旅

東京通勤圏として発達してきた関東鉄道(元鹿島参宮鉄道)竜ヶ崎線。何回か訪問した昭和30年代後半の頃は蒸機の貨物列車が走りまだ昭和30年代の面影を残していた。鉄仲間と訪れた昭和38年夏の竜ヶ崎線はあいにくの曇天であったが近場で小型蒸機を存分撮ることができた心休まる小さな旅であった。竜ヶ崎駅の佇まい  1963.08.17キハ41302の車内帰りに乗ったキハ41302+キハ103(トレーラ)...

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龍ヶ崎機関区

龍ヶ崎機関区は以前にも紹介したことがありますが、今回はオリンパスペンで撮ったものを集めてみました。イカロス出版2012年「蒸気機関車EX」Vol.07で諸河プロが大判カメラで撮った写真と伴に龍ヶ崎の煙に掲載されたハーフサイズカメラで撮った機関区の一コマです。昭和38年は4号機が本線を走り5号機も健在で東京近郊でこんな小型蒸機がまだ働いていた時代でした。「龍ヶ崎機関区」の看板を掲げた詰所と4号機(大正...

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