遠鉄奥山線 最後の日-2
奥山線の最終日の日中は鉄ファンや地元住民のカメラの放列などはなく落着いた1日であった。この頃はまだ鉄ファンが大挙してやってくる時代ではなかったのでしょう。地方私鉄の廃線最終日は鉄道会社や地域によっては派手なイベントもあったが、奥山線の日中は乗客で賑わったが派手なイベントはなかった。永く親しんできた奥山線が消えるとあって、多くの沿線の人々が乗り納めにやって来た。通勤通学で奥山線を利用してきた人達の足は...
View Article遠鉄奥山線 最後の日-3
1964年10月31日の最終日は最終列車で花束贈呈があり秋の暗闇にひっそりと消えた奥山線であったが、その翌日には遠鉄浜松駅の奥山線ホームを会場にして奥山線廃止の式典が大々的に行われた。思い入れがあった奥山線だけに最後まで見ておこうという気持ちがあってか関心薄い翌日の式典まで居残ってしまった。この日の会場の看板を見ると「奥山線営業廃止 代行バス運転開始...
View Article遠鉄奥山線 祝田の変貌
写真は2000年に奥山線の跡を訪ねた時に祝田の大築堤があったところを撮ったものです。奥山線が都田口から三方原台地を下り谷を過ぎ祝田の大築堤をカーブし、そこから先一面畑の中を一直線に金指へ向かって走っていた祝田風景の36年後です。時が経つと奥山線現役時代のあの風景があまりも長閑過ぎて信じられないくらいです。廃線となった1964年(東京オリンピック開催)の頃から浜松郊外も大きな変貌が始まったのでしょう。...
View Article遠鉄奥山線の丸妻客車
奥山線の魅力を引き立ててくれた一つに奥山線用に製造された丸妻客車があり、電車や気動車に牽かれて走る丸妻客車の光景に素晴らしいものがあった。丸妻客車は形式が幾つかに別れるが、開業時からのサハ1108と1109とそれ以降の製造では基本寸法は同一で外観も殆ど見分けがつかない。サハ1101型 1101 1102 雨宮製作所 大正11年製 奥山延長時の新造車サハ1108型 1108 1109...
View Article沼尻鉄道の客車
ナロー模型の題材として超人気の沼尻鉄道で、車両写真は多くの書物で紹介され出尽くした感があります。もう何年も原稿待機していた奥山線丸妻客車に引き続き沼尻の車両写真もアップしてみます。今さら解説も不要な車両ばかりです。撮影 1964.01.02~03ボハ6...
View Article沼尻鉄道の客車(細部)
いつもの「オリンパスペンで撮った軽便」で、沼尻の客車もデッキ回りやアーチバー台車などを集めてみました。前回の車両写真も大半はオリンパスペンで撮ったものです。撮影 1964.01.02~03ボハフ1の風格あるデッキ回りと車体ボハ6の素朴な車体と極小アーチバー台車の組合せが素晴らしい.ボハフ1、 2、シボフ3、ボハフ11の大柄で少し間の抜けたアーチバー台車[軸距1016...
View Article沼尻鉄道 磐梯山と珍編成
雲の切れ目に輝く雄大な磐梯山を捉えたのだが、珍編成の方は残念無念.50年経った今もフィルムをケチッたことが悔やまれる.ガソ+ボハフ+DC+ボサハ+ボハは脱線をガソに救援されて川桁へ向かっているところでした. 白津-内野 1964.01.02
View Article八高線 金子坂を下ったところ
1967年頃よく通った八高線は金子から東飯能に向かって金子坂を下ると左にカーブし広い茶畑に出て西武池袋線と立体交差する。当時、西武池袋線のことは全く眼中になかったが昨年末に引退する西武101系を撮りに行った所はこの立体交差の近くであったことに最近気が付いた。現在の西武池袋線を元加治の先へ向かったところの風景はあの時の八高線の荒涼とした風景とどうしても結びつかない。八高線 金子-東飯能...
View Articleえちぜん鉄道の秋
毎年この季節になるとえちぜん鉄道の秋が思い出される。終点勝山から比島、発坂、保田へと歩き青い空に浮かぶ白雲、大日山とその向こうの白山連峰、越前名物蕎麦の畑、九頭竜川の流れを見て越前のすばらしい秋を満喫したのは2008年のことであった。えちぜん鉄道沿線の自然は京福電鉄の時代から何も変わっていないのだろう。勝山から保田へ向かう 2008.10.13
View Article福井鉄道 田原町
市役所前で通勤・通学客の殆どが下車し、朝の役目を終えてガラガラに空いた高床車は田原町まで行って武生へ引き返す。最後の高床車が引き返す頃は通勤・通学時間帯もとっくに終わっていた。田原町は福井鉄道の様々な電車がやってきて「えちぜん鉄道」と接続するので飽きることのない魅力的な駅であった。「えちぜん鉄道」との相互乗り入れが実現する頃はさらに話題多き駅になることでしょう。撮影...
View Article福井鉄道 田原町から武生新へ
2008年の福武線は福井、武生の地名をつけた駅名で福井新、西武生、武生新がややこしかったが、その後、この3駅は福井新→赤十字前、西武生→北府、武生新→越前武生に駅名変更され、私にとって武生側の2駅は新旧名で更にややこしくなった。新旧駅名を整理したのが上図で、本記事の駅名表示は2008年当時のままです。田原町から乗車して武生新へ向かってみた。朝のラッシュ時間帯が終わると昼までのんびりとした時間が過ぎ、...
View Article第9回 軽便鉄道模型まつり-1
昨日の軽便賛歌講演会に引き続き本日開催された恒例の「軽便模型まつり」に行ってきました。前回は行けなかったので2年ぶりの軽便まつり見学でした。今回お目当ての一つが草軽Oナローモジュールで、講演「くさかるの魅力」と相俟って作者の草軽への思い入れがひしひしと伝わって来る作品でした。作者...
View Article第9回 軽便鉄道模型まつり-3
南洋物産さんの気になる1/80ナロー九十九里鉄道の単端と客車.周辺は台湾軽便.既に店頭で1/80九十九里単端を見たことがありますが、1/80九十九里単端の脇に1/87西大寺単端が並ぶと、西大寺単端がNナローなのかと思うくらい小さかった。毎年1/87で3'6''地鉄と2'6''ナローを対比させるアートプロさんの展示ブース.軽便の楽しさの一つにこの対比がある.よく出来たせんろ同士の対比で分かる「狭いせん...
View Article第9回 軽便鉄道模型まつり-4
Oナロー1/48「赤石鐵道比尻機関庫」は昨年の展示で話題をさらい、機関庫はHP「夢遊生活の日々」さんの「赤石鐵道の機関庫見学」に内部の様子含めて余すことなく紹介されています。昨年の機関庫に客車や単端がたむろする手前のヤードが追加された2つのセクションを今回初めて拝見しましたが、今まで様々報告されているように細かく見れば見るほど凄い作りで、このセクションレイアウトの素晴らしさ全ては一つ一つを時間かけて...
View Articleコッペルがいた機関庫
1962年 コッペルがいた井笠鉄道の機関庫内部がどんなであったのか覗いてみました。1962年夏のくじ場機関庫1967年春のくじ場機関庫今だったら機関庫内部を隅から隅まで大量に撮りまくったでしょう。当時はフィルムがもったいくなくて車両を撮るのが精いっぱいでした。
View Articleクラウスがいた石岡機関区
関東鉄道鉾田線(後の鹿島鉄道)の石岡機関区の機関庫脇にクラウスが留置されていたことは有名であったが、1966年に訪問した時はクラウス4号機のみが草むらの中にいた。留置されていたクラウスと古い建屋と周辺の草むらに何とも言えない雰囲気があった。機関庫脇の草生した側線に休むクラウス4号機....
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