北海道集団がやってくる以前の茨城交通に所属していた気動車はキハでなくケハと表示され、那珂湊車庫にはケハ401、ケハ402、ケハ45が休んでいた。この日出動していたステンレス車ケハ601を含めこの頃の湊線には地方私鉄らしい湘南スタイルの気動車が3両(ケハ401、402、601)揃っていたわけです。
ケハ401 那珂湊 1972年夏
ケハ401は茨城交通茨城線(赤塚~御前山)で最後まで活躍した車両で、1971年2月の廃線後に湊線へ移動して間もない姿であった。ドアのステップが大きく下った田舎臭いスタイルでツートンカラーで茨城線で活躍していた姿は想像しただけで堪らない魅力を感じてしまう。
こちらが有田鉄道キハ250と同形で山鹿温泉鉄道の注文流れを引き取ったとのこと。
こちらが有田鉄道キハ250と同形で山鹿温泉鉄道の注文流れを引き取ったとのこと。
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有田鉄道の同形車
ケハ402 那珂湊 1972年夏
ケハ402は元から湊線にいた気動車で、これも湘南スタイルでツートンカラーの気動車を雑誌などで見て湊線と言えばこのケハ402のイメージが強かった。こうして2両とも羽幌炭礦鉄道カラーに塗られてしまうと別物になってしまうものだ。
ケハ45 那珂湊 1972年夏
元国鉄04のケハ45も茨城線で最後まで活躍して湊線へ転籍した気動車で茨城線時代のツートンカラーのままであった。
湊線を代表するのが日本初のステンレス製気動車ケハ601で昭和35年新潟鉄工所製。湊線の湘南スタイル気動車ケハは全て新潟鉄工所製が揃った。国鉄規格型北海道集団の投入で、この後の湊線は地方私鉄らしさ(車両)は一掃されてしまった。
ケハ601 阿字ヶ浦 1972年夏
阿字ヶ浦のいも畑と潮風の中を行く湊線ケハ
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