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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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昭和38年 夜行列車と浅間線

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写真展「上野駅の幕間」と浅間線の話題から、昭和38年の夜行列車と浅間線のことが懐かしく思い出されてきます。1962(昭37)年~1967(昭42)年のよく夜行列車を利用した時代は、先日の写真展の上野駅風景から更に15年も昔のことであった。
あの時代の夜行列車の駅や車内が一体どんな風景であったのか写真に記録してなく悔やまれて仕方ないが、日誌の記録より1963(昭38)年夏の新宿発長野行き準急「穂高2号」夜行列車から翌朝の松本駅前までを追ってみました。

「ニュー東京」から見た昭和38年の有楽町風景.1963.07.19
1963(昭38)年7月19日。この日はまもなく消える京王の中型車を下高井戸~代田橋で撮って夕方に鉄道友の会の写真部会が開催される有楽町の「ニュー東京」へ向かった。友の会のアプト見学会の前々日で8mmを見たりして21時過ぎに「ニュー東京」を出た。

有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高2号」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車もどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高2号」の車内通路の床に座る事にした。
発車時間になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。
列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。

費用削減で夜行列車はいつも自由席であり、寝台列車や特急などは遠い存在であった。何時間も駅で並ぶことで大抵は自由席が確保できたが盆暮れシーズンには床に新聞紙を敷いて寝る事があった。しかしこの松本ヘ向かった時の夜行列車は床に横になることさえできない超満員の一夜であった。
この頃はコンビニも自動販売機もペットボトルも無かった時代、鉄撮り旅で水筒を持っていった記憶もない。クーラも付いてない真夏の超満員夜行列車でどうやって水分補給していたのだろうか? 駅にある水飲み場でなんとかなったのだろうか。

まだマイカー時代到来する前の頃、若者達の余暇の楽しみ方は登山やハイキング等が上位を占めていたのだろう。新宿駅の地下通路や階段に列をなす客や松本駅前の賑わいはあの時代特有の風景であったと思われる。夜行列車を使って全国各地をめぐるリュックを背負った若者も多かった。そんな旅人達と車中で言葉を交わすと、どこが行って良かったかの話題が噛みあわず鉄ちゃん旅がなんと悲しかったことか。

始発前で薄暗い浅間温泉行き電車のりば.1963.07.20
薄暗い早朝の国鉄松本駅前に見つけた浅間線の線路に歓喜! カーブした線路の先へ進むと駅前広場の隅に2本のホームからなる駅があった。暗い駅には薄汚れた木造電車が2両停車していて始発まではまだ30分あった。廃線ムードが漂うひと気のない駅はまるで廃線後のようであった。国鉄松本駅前はどの商店もまだ閉まっていたが駅前のバス停には登山客が溢れ、ここだけは日の出前の早朝の感じではなかった。

松本駅前で登山客を乗せたバスが次々発車して行くと、やがて浅間線始発電車がホイッスルを鳴らし駅前にゴトゴト出てきた。朝食をとるのも忘れ早朝の駅前通りを進むと人もまばらで静まり返った街の中を電車が何本か通り過ぎて行った。
昭和30年代を色濃く残した松本駅前通りの佇まい

 昼頃の国鉄松本駅前  
早朝の駅前通りの写真は「浅間線 早朝の温泉行き電車」にあります。


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