京王線 甲州街道を行く
1963年4月に京王線新宿駅の地下駅が開業し、更にその年の8月には架線電圧が昇圧化(600→1500V)され初の1500V専用車が登場した。600V電車が走っていた新宿地上駅と地上線を走る最後の光景はこんなであった。最後の新宿地上駅 1963年4月...
View Article京王線 5000系のデビュー
1963年8月の京王線の1500V昇圧化で、1500V専用車としてデビューした5000系は8月4日から運転開始され、8月11日には5000系の試乗会があり高幡不動まで試乗を楽しんだ。その時のメモは何も残っていなかったが100km/h超えの車窓風景に恐怖感を覚えた記憶がある。まだ新幹線開業前のことであった。グリーンカラーの京王線にアイボリーカラー5000系がデビュー.高幡不動 1963.08.11...
View Article京王線 中型車最後の活躍3
デハ2400形2403を先頭に5両編成は全車パンタ付. 下高井戸 1963年4月 この中型車5連をアップしたのが2011年7月の「京王線 中型車最後の活躍」でしたが1、2 に引き続き3をアップしてみます。京王線 中型車最後の活躍 2京王線 中型車最後の活躍 18月4日の昇圧化直前で世田谷の田園を行く最後の中型車 1963.07.31デハ2402 桜上水下り線...
View Article昭和37年頃の小田急(続)
小田急電鉄で昭和30年代の喜多見~和泉多摩川あたり風景を以前アップしたことがあります。あの頃の小田急 (1964年7月)昭和37年頃の小田急...
View Article渋谷玉川改札の昔
学生の頃、井の頭線から都電34番への乗換えで日々この写真のところを歩いていましたが、山手線の改札口がここにあったことは覚えていても正確な事までは記憶になく、今ある渋谷玉川改札の位置は昔あった山手線改札口の位置と同じと言えるかどうか?①と②を推察してみたのですが、当時のことを知っている方がいらしたらメールorコメントにて教えて下さい。①...
View Article本橋成一写真展「上野駅の幕間」
写真家 本橋成一氏の写真展「上野駅の幕間」を見て来ました。上野駅の1976~1979年3年間を撮った作品で、鉄道ファンとは視点が全く異なる迫力の鉄道風景が衝撃的でした。この時代までは上野駅に限らずどこの駅でも題材が宝の山だったでしょう。鉄道ファン向け誌の写真にはこういう視点はまず無かった。今思えば残念なことをしたものです。5月2日(金)まで開催 品川キャノンギャラリーSキャノンギャラリーS
View Article昨日のテレビ朝日スーパーJチャンネル「謎の玉川改札」
昨日の夕方、テレビ朝日のスーパーJチャンネルで「渋谷駅の七不思議」が放送され、②「謎の玉川改札」で先日の玉川改札の今昔2枚の写真が使われました。日を追って七不思議の一つずつを取上げて行くのかと思っていたら①から⑦まで一気の放送でした。昔の渋谷駅山手線改札口を調べたのですが狭い改札口だったのかどうかはよく判りませんでした。玉電本9冊、山手線、東急等どの本見ても昔の山手線改札口なんて撮る人はいなかったよ...
View Article昭和38年 夜行列車と浅間線
写真展「上野駅の幕間」と浅間線の話題から、昭和38年の夜行列車と浅間線のことが懐かしく思い出されてきます。1962(昭37)年~1967(昭42)年のよく夜行列車を利用した時代は、先日の写真展の上野駅風景から更に15年も昔のことであった。あの時代の夜行列車の駅や車内が一体どんな風景であったのか写真に記録してなく悔やまれて仕方ないが、日誌の記録より1963(昭38)年夏の新宿発長野行き準急「穂高2号」...
View Article井の頭線 吉祥寺駅ビルの開業
長いこと工事中であった井の頭線の吉祥寺駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」が姿を現し開業したのが先月末。4月23日に吉祥寺駅を通ったら各所がスッキリしていて、この日は駅ビルオープンの日であった。2010年4月に駅ビル建替工事が始まり、長いようであっという間の4年間であった。迷路であった井の頭線~JR北口乗換え通路は建替え工事で更なる迷路になっていたが、工事完成で昔に比べ大幅に乗換が楽になった。2010年4月...
View Article中央本線 夜行準急「穂高」2407レ
浅間線を撮りに松本へ向った新宿発のあの夜行準急「穂高」2407レは甲府でDF50の重連に付替えと日誌にあったので、この深夜の牽引機付替えのことを調べたところ「DF50だぶる」という記事を載せたサイトがありました。管理人様にお断りして掲載します。画像は私達が乗った1963年夏から1年半後、深夜の甲府駅で撮られた準急「穂高」です。中央本線夜行準急「穂高」は甲府からEF13+マヌ34に換ってDF5033+...
View Article遠鉄奥山線 気賀口のボギー貨車
以前「奥山線最後の日」をアップした時に行方不明であったハーフサイズのネガがやっと見つかり、気になっていた気賀口のボギー貨車他をアップしてみます。 奥山線最後の日-11964年秋に全廃となった遠州鉄道奥山線は、1963年春までは気賀口から先...
View Article遠鉄奥山線 奥山の手前で撮る
1963(昭和38)年4月末で廃線となった気賀口~奥山間については過去3回アップしてきましたが、今回は浜松の小栗様から送付戴いた廃線50年後の遺構の写真と伴に思い出をアップしてみます。気賀口から奥山へ向かう2 (奥山駅の駅舎と構内配置)気賀口から奥山へ向かう1 (沿線の車窓記録)気賀口-奥山間 最後の桜...
View Article奥山線 谷駅 「谷のギフチョウ」が舞った里山
素晴らしい奥山線谷駅のことは過去に何回か紹介してきましたが、谷駅の一帯は絶滅した「谷のギフチョウ」が舞う里山であった事をつい先日に知って、谷のことを再び取上げてみます。...
View Article奥山線 三方ヶ原台地
谷の坂を登りきってカーブしたところに都田口の駅があり、そこから豊岡、三方原駅を過ぎ曳馬野まで三方ヶ原台地を一直線に進み非電化区間が終わる。単調な直線区間であったが松の木がある都田口駅が魅力的でここで客車増結などが行われた。そして都田口と似たような駅舎が三方ヶ原にもあった。この都田口~曳馬野間は砂利道が線路と並走しそこを代替バスが走ったようだ。この単調な大平原のような風景はその後浜松市のベットタウンと...
View Article奥山線 ギフチョウと廃線跡
昨日は「チョウの生物学」を研究されている加藤先生からギフチョウの貴重な写真を送付戴きました。Citrina通信No.401「谷のギフチョウ里帰り」にあった写真と同時に撮影されたようです。写真は2年前の撮影で「谷のギフチョウ」が絶滅した谷駅跡に生える一株のヒメカンアオイと、引佐(いなさ)地方北部の枯山で撮られたギフチョウです。そして浜松の小栗様からも昨日の谷駅付近の廃線跡の写真を送付戴きましたので写真...
View Article奥山線 谷駅周辺風景
今までに何回もアップしてきました谷駅周辺の写真を再度並べて、国土地理院の地図上で撮影場所を確認してみました。谷駅周辺には小さな鉄橋が3箇所くらいあるようで、あの農家と鉄橋のある風景はずっと祝田寄りだったようです。地図には谷~祝田間の築堤で下をくぐる農道or小川までは記入がなく撮影場所は未だ決定的ではありません。現在の航空写真を見るとあの長閑な谷駅の水車小屋辺りには変電所、一軒家の農家があった平地には...
View Article小田急 朝の通勤ラッシュ
昨日、久しぶり朝の通勤時間に西武新宿線に乗って今とは比較にならない遠い昔の小田急が思い出された。写真は、1960年代の高度成長期が始まる前、デハ2200形登場後からすると1950年代の後半でしょう。私は喜多見で各停に乗って成城で急行に乗換え下北沢までの中学通学がスタートした頃で、まだ中一で小さな私の身体は大人達に挟まれて浮いたままであった。つり革下の腕力なき客は支えきれずに座席客のヒザの上に崩れ落ち...
View Article阪急の名車2300系
昨年引退した阪急2300系がまだ活躍していた. 淡路 2014.06.07鉄研後輩から送られた阪急のスマホ写真を見ると私の好きな鉄道の日常風景を撮るだけなら今やコンデジもミラーレスも要らないでしょう。何を今さらと云われそう。そして、鉄道日記として綺麗なスマホ写真をPCで綺麗に見るには、Bloggerは最適です。今でも350KB程度まではOKです。50年前の阪急2300系...
View Article小湊鉄道 2010年の春
2010年の小湊鉄道訪問では上総大久保とその先の養老渓谷まで入ってみた。菜の花が衰えるなか桜はまだこれから。東京の桜満開から一週間待って再度訪問すると里見の桜が満開であった。蕾がふくらんできた上総大久保の桜 2010.03.30養老渓谷~上総大久保間の菜の花と咲き初めた桜. 2010.03.30 里見の桜 2010.04.09この年の東京の桜満開は4月2日であった。
View Article大井川鐵道の電車
前回の大井川鐵道の電車に続き私鉄車両めぐりを続けてみます。あの阪急の2300系がデビューして6年後、地方ではまだ魅力溢れる電車が活躍していた。大井川鉄道訪問では千頭森林鉄道に目を奪われ大井川の電車には余り関心が無かったが今になって見ると中々魅力溢れる電車が活躍していた。モハ300形302.元三信鉄道(現JR飯田線) +クハ502?...
View Article