長岡の車庫・工場の線路図と建屋配置の全容は調べてなく諦めていましたが、手元の写真を寄せ集めると車庫・工場の線路図がある程度推定できそうであり、判る範囲を長岡駅線路図に書き込んでみようと思います。
栃尾線の近代化で長岡にあった車庫・工場は昭和42年11月に下長岡へ移転し大変立派な工場となった。それまではモハ212以降の新造車(東洋工機製)を除く様々な自社新造や改造はこんな工場で行われ、度肝を抜く珍奇な車両達の殆どはここで生まれたのでしょう。これらの車両はまるで尺度1/1の模型のようであった。
栃尾線の近代化で長岡にあった車庫・工場は昭和42年11月に下長岡へ移転し大変立派な工場となった。それまではモハ212以降の新造車(東洋工機製)を除く様々な自社新造や改造はこんな工場で行われ、度肝を抜く珍奇な車両達の殆どはここで生まれたのでしょう。これらの車両はまるで尺度1/1の模型のようであった。
撮影:1964.03.22
元草軽電車200の脇に背の高い車庫があり、その先に使われない転車台がある.
転車台には珍奇なモハ210が乗っている.自社工場製でアルミ製の背が低い電車.
この電車はなんと一部クロスシートのロマンスカーとして生まれたそうで驚きの軽便電車である。
この電車はなんと一部クロスシートのロマンスカーとして生まれたそうで驚きの軽便電車である。
転車台の先に2線の建屋がある.左の建屋がきっと機械工場なのでしょう.
2線の建屋内では元草軽ホハ23(昭和35年入線)を改装中.
草軽時代からイコライザー式の台車を履いている客車.
右に転車台に乗ったアルミ製のモハ210が見え
転車台の奥に2本の線路があり、1本がもう1棟の建屋へ延びている.
長岡駅の上見附側 線路配置
転車台の奥に2本の線路があり、1本がもう1棟の建屋へ延びている.
長岡駅の上見附側 線路配置