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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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世田谷区弦巻 昭和30年代

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バス停「弦巻3丁目」桜新町から弦巻営業所へ向かうバス. ボンネットバス、非舗装路、コンクリート製ゴミ箱、まばらな住宅が時代を象徴する。

世田谷区弦巻。
昭和37から昭和41年にかけて鉄仲間と地方私鉄訪問の旅プランを練るのに集まったたまり場、それがこの写真のバス停を降りたところのお宅であった。この写真が撮影されたのはおそらく昭和30年代前半と思われる。

この交差点から少し離れたところに当時から住む友人(非鉄)が懐かしいバス停「弦巻3丁目」の写真を持っているというので当時の生活風景の写真含めて提供いただいた。

世田谷もまだのどかでバス通りから少し入ると畑が広がり空が広い。
こんな東京の風景も地方の風景も同じようで日本中どこも長閑な時代であった。

さんさんと陽を浴びて洗濯物を干す先に畑が広がる

風呂場の煙突の先にバス道路沿いに建つ平屋の住宅.遠くに駒沢給水塔が見える.風呂付の1軒家はまだ贅沢な時代だったのでしょう

正月に羽根つきで遊ぶ.周辺には竹やぶや畑が拡がる


弦巻3丁目の看板にあった「眞中パン」の話題。
世田谷で子供の頃を過ごした人にとって「眞中パン」は紅梅キャラメルと同じような子供時代の懐かしい存在ではないでしょうか。
聞いた話によると、小さなパン屋だった眞中パンが用賀に大きなパン工場(パン屋さん組合?)を建て、事業拡大したが10年持たずに消えたそうで、存在したのは紅梅キャラメルと同様に僅かな期間だったようです。

用賀に建てた大きなパン工場とは馬事公苑と大山街道の間にあった旧陸軍衛生材料廠跡地(後の厚生省東京衛生試験所)の脇にあったそうです。


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