オリンパスペンSで撮った京都市電3
四条大宮から阪急西院駅までオリンパスペンのネガを撮影順に追ってみました。撮影 1964.07.10⑩系統(白梅町~京都駅前) 四条大宮交差点千本線から大宮線へ入るところでしょう. ⑦系統(九条車庫前~九条車庫前) 大宮線 四条大宮さんとら食堂のあたりに今は新三虎ビルがあり三虎ガレージの看板もある.ここからは京福電鉄嵐山線を撮りながら三条口まで歩いたようだ.嵐電...
View ArticleオリンパスペンSで撮った昭和40年の東北旅行
オリンパスペンSは鉄撮りだけでなく、誰でも撮れる小さなカメラということで両親の旅行に何度か使われたことがあります。鉄ファンでもなくカメラも不慣れな一観光客がペンSで撮った昭和40年は記録として面白いのではないかと趣向を変えてみました。昭和40年夏の東北旅行は、松島、中尊寺、酸ヶ湯温泉、十和田といったお決まりのコースだったようだ。昔も今も誰もがそうであるように観光名所でハイポーズの写真オンパレードであ...
View Articleパソコンの不調
ブログの画像調整用に使用してきたPCが調子悪くなりアップできなくなりました。PCは2009年春モデルのWindowsVistaで、気がついたらもう5年半も経っていたのです。今年から予備にスリムノートWindows8.1を使っていたので慌てずにすみました。暫くはスリムノートPCでアップしていきます。パソコンは起動がのろいのが嫌われ若者はPC不要だそうですが、ドライブがSSDのスリムノートPCの起動は一...
View Article宮本常一と写真
ブログでしばらく「オリンパスペンSで撮った・・」を続けたのは、ネコパブ「国鉄時代」で毎号グラビアを飾っている国鉄SL情景の堀越庸夫さんから紹介された一冊の本「宮本常一と写真」石川直樹著がきっかけでした。民族学者であり写真家でもあった宮本常一(1907~1981年)は昭和20~40年代の日本を10万枚くらい撮ったそうで、最も長く愛用したカメラがオリンパスペンSで、この本にはオリンパスペン発売後の昭和3...
View ArticleオリンパスペンSで撮ったお気に入り 1
私がオリンパスペンSを使い始めたのは昭和38年春で、昭和42年春にはネガが終わっていて、ペンが使われたのはたった4年間だけであった。この4年間は東京オリンピック開催(昭和39年)を挟んで昭和30年代の雰囲気がまだ色濃く残されていた時代であった。すでにアップ済みですが私のお気に入りを何枚かアップしてみます。東急多摩川線 玉電瀬田...
View Article本日の入間航空ショー
主に画像加工に使っているパソコンを最新型にして今日からスタートです。本日の入間航空祭(航空ショー)を試してみました。西武稲荷山公園の駅は黒山の人 人 人入間基地内から帰ってくる人々.この直後踏切は人の頭で一面真っ黒となった.航空自衛隊松島基地のブルーインパルス...
View ArticleオリンパスペンSで撮ったお気に入り 2
和歌山軌道線 東和歌山駅前 1964.07.10 ハーフ判フィルムのシャープでないところが遠い昔の時代をより感じさせてくれる。越後交通栃尾線ホハ11 元都電杉並線路面電車の珍奇な軽便客車.1964.03.22オリンパスペンは車内や庫内を記録するのに最適であった。島の電車庫. 淡路交通宇山車庫 1965.08.02 車庫内光景の陰影はオリンパスペンはなぜかよく写る。雄勝線 元日立電鉄のトレーラ...
View Articleお知らせ Bloggerのトラブル
昨日は丸一日Googleの日本ブログがすべて開けない状態だったようでご迷惑おかけしました。GoogleのBloggerサービスで障害が発生し、日本からブログページを閲覧できない状況になっていたようです。本日朝一にはほぼ回復したようで、やれやれホッとしました。ご迷惑をおかけしました。
View Article西武 所沢駅
西武国分寺線(国分寺~東村山)では東村山から新宿線に入り国分寺~本川越間の直通運転が1時間に1往復走っている(いた?)。この直通運転のN101系を追いかけた頃に撮った所沢駅を見ると今ではすっかり新装なった所沢駅の昔が懐かしい。写真の左手に改札口があり、その奥の古い跨線橋まで昼でも暗いホームであった。N101系が停車していると地方私鉄を感じさせる風景で、暗い灯りの下の店舗はまるで地方駅の名産店のようで...
View Article加越能鉄道 高岡駅前
先日のChitetsuさん(吊り掛け電車をもとめて)の加越能モノクロ写真に刺激されて、私もネガを探してみました。昭和50年、もう鉄撮りは止めていた頃で高岡のアルミ工場へ何回出張した時に何故かカメラを向けたものです。昭和50年頃から鉄道を撮らないなら徹底して撮らないが約30年も続き、惜しいことをしてしまいました。高岡の駅前通り...
View Article世田谷区喜多見 闇夜の電波塔
今も世田谷弦巻に住む友人と昔の話をしていて世田谷の夜は真っ暗闇だったとの話から思い出したことがある。喜多見の世田谷通りから成城の山にかけて夜になると真っ暗闇であった。道路を走るクルマの灯りも街頭もなし、点在する家々はまだ蛍光灯ではなく白熱燈でテレビもなかった昭和25年頃だったと思われる。喜多見は世田谷の外れで人家も少なかった。喜多見から成城の山にかけて暗闇の中に一際目についたのが山の上のNHK砧放送...
View Articleお知らせ
「喜多見の闇夜の電波塔」以来、ブログも途絶えすっかりご無沙汰してしまいました。半月近くブログが死んでいるとアクセス数もガタ落ちかと思いきや、暫くは1000/日を確保していたのは大変有り難いことで励みになりました。日々過ぎ去るホットな話題のフロー型情報ブログと違って、50年も昔の写真のストック型情報ブログはいつか終わりの時がくる、と思いながら気がつけば何と4年半も経ってしまいました。これだけ続けて来れ...
View Article40年前の高岡の1号機
先日アップした加越能鉄道高岡駅前、この日の目的は仕事でフォークリフトのユーザ納入立合いでした。全く鉄道とは縁のない話で恐縮ですが、昔から産業車両 (Industrial Vehicle)...
View Article鹿島鉄道 週刊誌広告付き気動車キハ714
鹿島鉄道が消えてまもなく8年になる。昨年10月に鹿島鉄道「気になったキハ714」で取り上げた元夕張鉄道の気動車、大きな週刊誌広告付であまり注目されなかった車両だが改めて見るとほんとうに美しい。画像を追加して美しいキハ714を大きめの画像でアップしてみます。2007年に撮ったカメラ撮像素子はすべてコンデジサイズです。石岡駅の今 2014年12月 撮影:トミオカさん 使用許可済...
View Article鹿島鉄道 廃線跡
今年12月に撮影された鹿島鉄道廃線跡の写真を眺めると、07年春までこの風景を走っていた鹿島鉄道が思い出されます。昔の面影残す廃線跡に現役時代の風景を対比してみました。廃線跡撮影:トミオカさん玉造町の先の踏切跡 2014年12月踏切の先に玉造町の交換駅があった 2007年春大きな木立に囲まれた静かな玉造町駅 2007年春玉造町から榎本へ向かう土手の廃線跡...
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