正月の沼尻
明けましておめでとうございます本年もよろしくお願い申し上げます誤操作でうっかり記事を消去してしまい(泣) 復元しました。日本硫黄沼尻鉄道 沼尻 1964.01.02 日本硫黄沼尻鉄道 沼尻 1964.01.02
View Article水浜線風景 ガルパンの聖地 大洗
ガルパンの聖地巡礼と言っても私ら世代には何のことかサッパリ分かりません。ガルパンの聖地が大洗だそうで、ネットでは大昔の水浜線の廃線跡がいろいろ取り上げられているようです。過去にアップしてきた青蛙さんの水浜線シリーズで残された未公開画像をアップしてみます。これまでの水浜線画像は全てオリンパスペンで撮ったそうです。水浜線の車窓に見えた大洗港...
View Article今年の駅弁大会 大館駅復刻駅弁
今年も恒例の京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁大会」が8日からスタートした。開催期間は1/8から1/20日迄。昨年はえちぜん鉄道三国芦原線あわら湯のまち駅「大人のオムライス」1100円を買って食べたが今年は地方私鉄の駅弁はなさそうだ。今回注目したのは"あの味をもう一度復刻駅弁 40年前の姿と味わいを再現"...
View Article志摩線の賢島へ向かう 1
東海道新幹線が開業する直前の昭和39年夏、風光明媚な伊勢志摩を走る三重電鉄志摩線を撮りに行ったことがあった。東京から夜行に乗って早朝の名古屋に到着し、関西本線の蒸機列車に乗って亀山機関区に立ち寄り終着鳥羽に到着したときは遠い地の感じがしたものだった。鳥羽からさらに志摩線に乗って1時間、奥の奥にある賢島まで名古屋からの所要時間は3時間半ほどであった。地の果て賢島も今では近鉄名古屋で特急に乗れば2時間ほ...
View Article志摩線の賢島へ向かう 2
関西本線の亀山から南紀を回り和歌山市までが紀勢本線となるが、この本線は極端に本数が少なかった。それに比べると亀山から紀勢本線を経由し多気で分かれ鳥羽へ向かう参宮線の方はずっと本数が多かった。亀山でキハ35単行に乗って鳥羽へ向かうと、これが紀勢本線かと驚くばかりのローカルムード溢れる路線に一変。この先にある津、松坂、伊勢市などでは参宮線に頼らず名古屋から宇治山田へ向かう近鉄が生活の足であったのだろう。...
View Article志摩線の賢島へ向かう 5
2010年5月にアップしたことがある「志摩線 伊勢志摩を行く荷物室付電車」を、数枚の写真を再利用してリニューアルします。鳥羽からモニ554 +...
View Article国鉄DF50のこと
志摩線賢島のハーフサイズフィルムの片隅にこんな風景が写っていました。賢島のあと那智観光して一泊、その翌日南紀小私鉄に向かう途中の紀勢本線です。まずカメラを向けることがなかった国鉄DF50は今となると貴重な1枚です。中央本線の夜行準急「穂高」や山陰本線他、全国いたるところでこの列車に乗った筈なのに、どんな牽引機なのかまず見ることはなかったDF50でした。紀勢本線...
View Article淡路交通 昭和40年の洲本
島の電車で断片的に淡路島のことを取り上げてきましたが、今回は洲本の街に限定してこれまでの写真を再調整して整理してみます。明石港~岩屋港経由して急行バスで遠路はるばる到着した洲本の街(昭和40年)の印象は、予想外に開けていたが大都市とは明らかに違ってゴチャゴチャした街の風情が堪らない魅力であった。今では全国至るところ統一化されて殺風景になってしまったが、この時代の洲本の訪問記録を読み返すと写真は撮らな...
View Article淡路交通 昭和40年の洲本2
地図にある番号順に更に進んでみます。8月3日の淡路島まつりの盆踊り夜は洲本駅の近くの大衆旅館に泊まり、クマゼミが鳴く騒々しい翌朝を迎えた。昨日同様に陽はガンガン照りで余りの暑さにランニング一枚になって洲本の宿を出発した。こういう場合、Tシャツ1枚になってが当たり前だがTシャツが出始めたのは1970年代からでこの頃はまだ無かった。よそ者がランニング一枚で外を歩くなどは今も昔も恥ずかしいことである。こん...
View Article淡路交通 昭和40年の洲本3
❼大衆旅館バスが洲本駅に到着すると直ぐに宿さがしで駅前をぶらついた。どうやら駅前にある旅館は観光客向けではなくどれも素泊まりだと600円の割烹旅館であった。割烹旅館はちょっと小奇麗で我々向けではないので、さらに探すと大衆旅館というのが目にとまった。おそらく洲本では最低の部類と思われる佇まいで旅館の感じは全くなく周りの民家と同じようであった。交渉すると二食付き650円(素泊まり350円)である。宿はこ...
View Article淡路交通 垂直カルダンドライブ車
洲本の大衆旅館に泊まった日は洲本から二駅先の宇山にある車庫で奇抜な電車をいろいろ見学し、中でも興味深かったのがモハ2008の垂直カルダンドライブ車であった。垂直カルダンドライブは運輸省の補助金付で神鋼電機で開発され、淡路交通宇山工場の協力で試験的に装着されたようである。神鋼電機製の垂直カルダンドライブは他に越後交通の栃尾線(ナロー)、三重交通の志摩線、湯の山線(ナロー)で採用されたがこの方式が広まる...
View ArticleオリンパスペンSで撮ったお気に入り 1
私がオリンパスペンSを使い始めたのは昭和38年春で、昭和42年春には撮ったネガが終わっていて、ペンが使われたのはたった4年間だけであった。この4年間は東京オリンピック開催(昭和39年)を挟んで昭和30年代の雰囲気をまだ色濃く残していた時代であった。すでにアップ済みですが私のお気に入りを何枚かアップしてみます。東急多摩川線 玉電瀬田...
View ArticleオリンパスペンSで撮ったお気に入り 2
和歌山軌道線 東和歌山駅前 1964.07.10ハーフ判フィルムのシャープでないところが遠い昔の時代をより感じさせてくれる。越後交通栃尾線ホハ11 元都電杉並線路面電車の珍奇な軽便客車.1964.03.22オリンパスペンは車内や庫内を記録するのに最適であった。島の電車庫. 淡路交通宇山車庫 1965.08.02 車庫内光景の陰影はオリンパスペンはなぜかよく写る。雄勝線 元日立電鉄のトレーラ...
View Articleお知らせ Bloggerのトラブル
昨日は丸一日Googleの日本ブログがすべて開けない状態だったようでご迷惑おかけしました。GoogleのBloggerサービスで障害が発生し、日本からブログページを閲覧できない状況になっていたようです。本日朝一にはほぼ回復したようで、やれやれホッとしました。ご迷惑をおかけしました。
View Articleブログ休載のお知らせ
伊勢志摩から淡路島の洲本まで思いつくままを並べて来ましたが、垂直カルダンドライブのコンポーネントが開発された伊勢志摩の土地、そしてその実車テストが行われた洲本の土地と、なんとなく垂直カルダンドライブで繋がりました。更に越後の栃尾線へと繋げたいものですが、明日から暫くブログを休載させていただきます。ブログ再開時は栃尾線の垂直カルダンでスタートできたらと思います。今後ともどうかよろしくお願いいたします。...
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