= 島めぐりバスのコース
1966(昭和41)年まで淡路交通の電車が走っていた淡路島は何とも言えない風情溢れる土地であった。鉄道の沿線は玉ねぎ畑、ため池、埃だらけの道路ばかりで、淡路ならではの淡路人形、西海岸の五色浜、鳴門のうず潮見たさに同行の友人と別れ、淡路交通の島めぐりバスに乗って珍しく観光をしたことがあった。
この頃の島の道路は至るところ穴だらけで、西海岸の道路などは更にひどくバスの乗客はシートから放り出されるくらい飛び跳ねた。
淡路島出身の阿久悠さんの著書「瀬戸内海少年野球団」の舞台設定は淡路島江坂町(仮定)で西海岸の五色浜を含むこの地域であったようだ。
鉄道沿線は両端の洲本と福良以外は見るべき名所もなかったが、島の電車の淡路風情は観光名所でも何でもない島の日常生活に溢れているのに気付いたのはつい最近のことであった。
淡路島出身の阿久悠さんの著書「瀬戸内海少年野球団」の舞台設定は淡路島江坂町(仮定)で西海岸の五色浜を含むこの地域であったようだ。
鉄道沿線は両端の洲本と福良以外は見るべき名所もなかったが、島の電車の淡路風情は観光名所でも何でもない島の日常生活に溢れているのに気付いたのはつい最近のことであった。
五色浜の海岸 1965年8月
天然記念物五色浜の海辺は目もあざやかな五彩の玉石に埋められ、真に自然界の驚異である。ここは慶野松原とともに周遊指定地である(淡路交通のパンフレットより)
電車の終点福良からうず潮見物へ向かう