東海道線の新藤枝から袋井まで何と60.7Kmも走っていた巨大軽便 静岡鉄道駿遠線。
1964年9月には堀野新田~新三俣間が営業廃止となり新藤枝側と袋井側に分断されてしまった。
1964年3月25日遠州鉄道奥山線の帰りに立寄った時は、まだ分断前で大手までの支線も健在で、新藤枝駅では次々と列車が発着し、これが軽便とは思えない賑わいであった。
新藤枝駅の3番線に発車待ちしている袋井行きのサボをつけた気動車を見つけたが、袋井まで60.7Kmも走破する巨大軽便もいよいよ路線の分断化を迎えていた。
ハ12
ハニ1
ハ114 (旧草軽ホハ30)
1964年9月には堀野新田~新三俣間が営業廃止となり新藤枝側と袋井側に分断されてしまった。
1964年3月25日遠州鉄道奥山線の帰りに立寄った時は、まだ分断前で大手までの支線も健在で、新藤枝駅では次々と列車が発着し、これが軽便とは思えない賑わいであった。
新藤枝駅の3番線に発車待ちしている袋井行きのサボをつけた気動車を見つけたが、袋井まで60.7Kmも走破する巨大軽便もいよいよ路線の分断化を迎えていた。
1~3番線まであった新藤枝駅の光景はいかにも巨大軽便であった.
左の1番線が大手行、2、3番線が袋井方面行のホーム.
3番線の袋井行列車はこれから軽便線を60.7Kmも走る.新藤枝 1964.03.25
編成はキハD8+ハ12 新藤枝
この時は鉄仲間5人で、誰もがこの列車に乗って袋井まで乗車するかどうか迷ったが、乗車したのは一人だけ、あとの4人は天候に嫌気をさして東京へ引上げてしまった。もしこれに乗っていれば大変な体験ができたことだろう、ちなみに袋井までの所時間は約2時間。
新藤枝~袋井まで線路が繋がっていた時代.
キハD7が牽く列車が発車して行く
大手行きのキハD10(旧赤穂鉄道 カ6)
ハ12
ハニ1
ハ114 (旧草軽ホハ30)
何に使われていたのか異色のDB606
駿遠線は車両のタイプ、台数が軽便としては桁違いで巨大軽便の車両写真を整理するのは容易でない。