鳥羽の神鋼電機で開発された垂直カルダンドライブが越後の軽便 越後交通栃尾線に採用されたことは前回紹介した通りです。
昭和32~41年にかけて東洋工機で新造されたモハ211~217の6両は軽便サイズながら近代的スタイルが魅力で、特にブドウ色からツートンカラー(西武カラー)になった総括制御編成の時代が華だったでしょう。しかしその直後に廃線を迎え解体全滅してしまい誠に不運な電車でした。
この東洋工機製新造6両の中に4両の垂直カルダン車が含まれていたのは下記の通りです。
モハ212 昭和32年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ213 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ214 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ215 昭和39年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ216 昭和39年 東洋工機製 吊り掛け式 電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ217 昭和41年 東洋工機製 吊り掛け式 電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍
この解説図は同志社大学鉄研OB会「デジタル青信号」に掲載されたもので、投稿者の沖中様に借用許可をいただきました。図の提供は堀幸夫様で原本は神鋼電機のパンフレットだそうです。
昭和32~41年にかけて東洋工機で新造されたモハ211~217の6両は軽便サイズながら近代的スタイルが魅力で、特にブドウ色からツートンカラー(西武カラー)になった総括制御編成の時代が華だったでしょう。しかしその直後に廃線を迎え解体全滅してしまい誠に不運な電車でした。
この東洋工機製新造6両の中に4両の垂直カルダン車が含まれていたのは下記の通りです。
モハ212 昭和32年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ213 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ214 昭和36年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 昭和48年廃車
モハ215 昭和39年 東洋工機製 垂直カルダン 電動機1ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ216 昭和39年 東洋工機製 吊り掛け式 電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍
モハ217 昭和41年 東洋工機製 吊り掛け式 電動機2ヶ/1台車 廃線まで活躍
ちなみに大きさを比較してみるとモハ215はこんなに可愛い.
旧型客車牽引時代の垂直カルダンドライブ車 モハ213. 1964.03.22
1973年に廃車
廃線間近のモハ205+モハ212+モハ215の編成. 1975.03.08
垂直カルダンドライブは212と215だが215は電装解除?された.
廃線間近のモハ205+モハ212+モハ215の編成. 1975.03.08
モハ215はパンタが撤去されクハ化?
こちらは吊り掛け式モハ217の1M3T編成. 1975.03.08
末期は吊り掛け式モハ216と217の2編成が主役だった. 1975.03.08
栃尾線に入線した東洋工機製新造車で垂直カルダンドライブ装置が1975(昭50)年の廃線まで活躍したのは最古参のモハ212の1両のみであった。
この垂直カルダンドライブがメンテナンス面でいかに手こずったかは下図の構造を見ると想像できる。カルダンドライブのバネ下荷重低減のメリットよりもメンテナンス上のデメリットばかりだったのでしょう。
幅狭の軽便台車に平行カルダンでは収まらないモータを縦置きにして無理やり垂直カルダンとしたようで、なぜカルダンドライブに拘ったのか? 軽便の速度であればシンプルに吊り掛け式で十分であったのでは。
まだギヤ精度も十分でなかった時代に、パワートレインにこれだけギヤを配置すれば、ギヤ騒音(唸り音)もかなりあったのでは? 神鋼電機がチャレンジした垂直カルダンの実用化は次々と消えて行き1975年の栃尾を最後に途絶えてしまった。
図は三重交通志摩線 5401号のもの
参考 「消えた轍」ローカル私鉄廃線跡探訪3 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング発行