田園都市線の用賀で降り地上に出ると、一変した用賀の街並みがある。
かってここに玉電が走り、この先の渋谷寄りに用賀の駅があった。
現在の道路の形状から、ここにあった玉電の軌道と大山街道の遠い昔の風景が浮かび上がる。
1960年代の世田谷用賀、今の街並みからは想像できないほど長閑な風景であった。
かってここに玉電が走り、この先の渋谷寄りに用賀の駅があった。
現在の道路の形状から、ここにあった玉電の軌道と大山街道の遠い昔の風景が浮かび上がる。
1960年代の世田谷用賀、今の街並みからは想像できないほど長閑な風景であった。
用賀 2015年4月
坂を下ったところに用賀の駅があり、道路に軌道と大山街道との合流地点の面影を残している。
写真上はこの辺りで、駅を出て踏切を渡り木立の脇をカーブする 1965.7.27
桜新町を過ぎ専用軌道区間の坂を下ると用賀に到着する 1969.4.22
用賀 1965.7.27
用賀を発車1969.4.22
桜の下に見えるのが駅前にあった「梅の湯」のようだ
踏切を渡り木立の脇をカーブすると大山街道と合流する 1965.7.27
用賀 1965.7.27
用賀を発車1969.4.22
桜の下に見えるのが駅前にあった「梅の湯」のようだ
踏切を渡り木立の脇をカーブすると大山街道と合流する 1965.7.27
踏切はこのあたりで、木立の跡に用賀駅東口があるビルが建つ 2015年4月