先日、日光軌道線は一旦終了のつもりでしたが、その後青蛙さんから貴重な画像の追加提供があり、貨物輸送で活躍した車両の紹介(画像)をしてみます。鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり第3分冊」に日光軌道線のトロリーフレイトや貨物輸送の詳細が書かれています。
小林茂氏が書かれたこの記事によると、本格電機+国鉄貨車の直通車扱いに対し、貨物積換え中継の貨物輸送をやったL形電動貨車+付随貨車のことをトロリーフレイトと言っている。
日光軌道線の貨物は清滝の日光精銅所の貨物輸送であり、昭和19年の国鉄貨車直通乗入まではトロリーフレイトが主力であった。
L型単端式の電動貨車は大正8年製テト30形30~39と昭和18年増備のテト40形40~48があり、いずれもL形電動貨車+付随貨車の組合わせで、これがカーブ緩和工事前の軌道線急カーブを走っていたのでしょう。
戦後は国鉄日光駅構内にある古河の倉庫、貯炭場、油槽と工場間の小輸送に仕業し、日光駅ではループで、清滝では三角線で方向転換している。最近は自動車輸送に切り替えて、貨物輸送は直通扱貨物だけに限られ、積換中継のトロリーフレイトは残念ながら廃止され、テト40の1組を残して全車廃止となってしまった。
という記載があり、記事が書かれたのが昭和37年、この少し前昭和30年頃まではトロリーフレイトも走っていたと想像される。
小さなL形電動貨車+付随貨車(ボギー)1両が日光駅前ループ線や神橋の急カーブを走っている光景を想像すると実に楽しくなってくる。
1963.07.14 撮影:全て青蛙さん
トロリーフレイトの主力だったテト40形L形電動貨車. 清滝電車区
テト40 1両だけが事業用に残されていた.
テト40 1両だけが事業用に残されていた.
古河電工精銅所には工場内搬送用に2両のL電がいたのでその2両でしょう。1963.07.14
よく見るとこの場所は国鉄日光駅。 役目を終えたこの2両はそれまでここで作業していたのか?
古河鉱業(1989年に古河機械金属に社名変更)、古河電気工業(1920年に古河鉱業を母体に設立)
貨車を電装化しただけの感じ.背後の築堤は東武本線
以下は本格電機
昭和30年まで活躍したED602.ロッド駆動のサイドビューが魅力的. 清滝電車区
片側に運転台無しはこの電機のゲテモノぶりのハイライト.
後進で日光駅に戻る時はこのステップに案内人が乗って下ってくる.
運転台側も異様な顔をしている.