真夏の福島交通軌道線
私が福島交通軌道線を撮ったのは1966年12月真冬であったが、田辺氏が撮った軌道線は真冬とは全く違った真夏の魅力があふれていた。そしてニモ1の貨物がまだ走っていた良き時代であった。撮影:田辺多知夫氏ニモ1の個性が強烈 福島駅前 1964.07.27名物貨物列車が駅前通りを行く本町
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田辺さんが撮った真夏の福島交通軌道線。駅前の珍品貨物列車ニモに引き続き、福島の夏がふんだんに感じられる素晴らしき情景をアップします。この時代の失われた風景に感じるものは人さまざま。撮影:田辺多知夫氏さいわい橋 1964.07.27保原近辺?福島駅前通り福島駅前
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福島駅前を出て長岡分岐点の手前で電車は摺上川に架る木橋「さいわい橋」を渡る。田辺さんが撮った「さいわい橋」をさらに続けてみましょう。写真に写った1964年の木橋は痛みが激しく並走する道路は通行止の柵がしてあった。こんなすごい木橋を電車はよく渡ったものだ。1966年12月大晦日に訪問したときはこんな木橋も改修されていた。撮影: 田辺多知夫氏さいわい橋...
View Article仙北鉄道
廃線迫る昭和41年の元気な仙北鉄道。佐沼駅で私たちと別れた田辺さんがその後撮ったのはこんな風景だった。小さな西郷駅の周辺は一面の田んぼ。初春の日差しの中を仙北鉄道の気動車が飛ばす。よく手入れされた立派な軌道だ。仙北鉄道 廃線前の活気撮影: 田辺多知夫氏この日卒業式だったのでしょうか. 1966.03.01 西郷 一面田んぼの中を行く列車 西郷-沼崎下米谷-小島盛んにやってきたDC103が牽く貨物列車
View Article日の丸自動車・法勝寺電鉄 米子駅
1967年5月に消えた素晴らしき田舎電車、日の丸自動車・法勝寺電鉄。1962年夏に訪問した時の米子駅風景が「米子の古典木造電車」でした。その1年後、同じ場所を撮影した田辺さんの写真を加えその後の車両の変化などを比較してみました。前回の記事より1962年の夏、国鉄時刻表に表示された「日の丸自動車・法勝寺電鉄」を頼りに山陰本線米子駅に降りる。米子駅の地下道をくぐり反対側に出ると、「日の丸自動車㈱電車部米...
View Article豊橋鉄道 渥美線の車両3
以前「渥美線の車両1~2」を紹介をしたことがありますが、引き続き「渥美線の車両3」で電機やその他の車両を紹介します。渥美線で初めてオリンパスペンSを使い始め、ここに登場する脇役達の殆どはオリンパスペンのハーフサイズフィルムで撮ったものです。何の変哲もない渥美線だが昭和38年に訪問した時は魅力あふれる車両がまだ活躍していた。元ガソリンカーの制御客車化がごろごろしていて木造電車もまだ走っていた。そして電...
View Article豊橋市内線 単車王国
昭和38年の豊橋市内線の写真を改めて見ると単車ばかりで、ボギー車は三重の神都線からやってきた600形の3両が唯一であった。主力は名古屋市電から大量に入線した500形単車であったが、それ以外にも200、400形の単車が活躍していた。戦災復興の都市計画でできた堂々たる広さの道路を小さな路面電車が走り、クルマはまだ少なく道路がとても殺風景に見えたものだった。今や各地で路面電車が見直されているが、豊橋市は戦...
View Article日光軌道線 1枚の写真から
2013年7月にアップしました山岳路面電車5にあった1枚の写真↓(上)についてkakさんからコメントを戴きました。この廃線跡は下河原駅から公会堂駅へ向かっていた旧線の跡ではないかと。確かに左手の川の土手、軌道線のカーブ、背後の山並み、遠くに見える木立や大きな三角屋根の建屋などが写真↓(下)下河原の風景と似ているところがいろいろあります。ここは下河原にあった旧線の跡かもしれません、そうだとすると2枚の...
View Article日光軌道線 山岳電機
古河電工から下ってきた山岳電機ED611の列車が神橋脇の大谷川橋梁を渡る.1967.12.21 撮影:田辺氏ED600形(元国鉄アプトED40形)が推進で大谷川を渡る高橋弘氏の写真で有名な名所1955年に2両のED600形は新造機ED611に引き継がれた.山岳電機ED602(元国鉄ED40形) 清滝電車区 1963.07.14 撮影 青蛙氏参考:鉄道ピクトリアル増刊...
View Article日光軌道線 1枚の写真から
青蛙さんから興味深い1枚の写真の提供がありました。東武日光駅に佇むED602(元国鉄アプトED40形) 1968年2月 撮影:青蛙氏手前の日光軌道線から1本の線路が東武日光駅構内へ向かい、そこから国鉄日光駅貨物線へと繋がっていた。時は1968年2月、1枚の写真からいろいろなことが読み取れます。
View Article日光軌道線 山岳電機 町中を行く
日光軌道線の貨物輸送は国鉄日光駅から国鉄貨車をそのまま清滝にある古河電工まで運び、日光駅での積み替えなしで輸送されていた。昭和22年に山岳電機ED600形(元国鉄アプトED40形)2両が導入されたが、元アプト式のため運転台が片方しかなく貨車の最後部に連結してプッシュ登坂し、帰りは機関車の背中側を先頭に坂を降りてくる。こんな異様な光景はさぞや見ごたえがあったことだろう。昭和30年に新鋭の山岳電機ED6...
View Article日光軌道線 国鉄駅前のループ線
1964(昭和39)年に廃止された国鉄日光駅前のループ線。軌道線ならではの急カーブで駅前に敷き回されたループ線は軽便鉄道の線路のような楽しさがあり気になるところ。青蛙、田辺両氏が撮った写真とループ線図とをつけ合わせてみました。東京オリンピックが開催された昭和39年、観光都市日光の表玄関に古びた路面電車がたむろしていたのではみっともないが廃止理由の一つだったようです。今だったら日光にふさわしい光景にな...
View Article北陸本線の電気式ディーゼル機関車 海坊主
昭和30年代後半の私鉄めぐりの旅では、さんざん利用した国鉄車両を私は殆ど撮らなかった。蒸機に代わるDF50などは嫌われ者で特に撮らなかった。ところが今になってみると一時代の箱型電気式ディーゼル機関車はDF50でさえ魅力を感じてしまう。ところで6両製造されたDD50はこの頃北陸本線の峠越えで見ることができた。これはDF50よりずっと魅力的で、特にこの海坊主は昔の鉄道誌でも強く印象に残っている。今回も故...
View Article日光軌道線 トロリーフレイト
先日、日光軌道線は一旦終了のつもりでしたが、その後青蛙さんから貴重な画像の追加提供があり、貨物輸送で活躍した車両の紹介(画像)をしてみます。鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり第3分冊」に日光軌道線のトロリーフレイトや貨物輸送の詳細が書かれています。小林茂氏が書かれたこの記事によると、本格電機+国鉄貨車の直通車扱いに対し、貨物積換え中継の貨物輸送をやったL形電動貨車+付随貨車のことをトロリーフレイトと言...
View Article日光軌道線 登りつめたところが馬返駅(続)
前回の「登りつめたところが馬返駅」の続編を。今、クルマでふらっと日光へ遊びに行ったところでお決まりのお立ち台でお決まりの景色を眺め、お決まりの人だらけの休憩所で昼を食べ、疲れるだけで何も感動はないでしょう(目的あって下調べして行く旅は別として)。東京から東武ロマンスカーに乗り日光駅前で路面電車に乗換え、途中下車して徒歩で観光しながら終点馬返でケーブルカーに乗り換え中禅寺湖へ向かう。もしもこんな昔の日...
View Article尾花沢線 仙境のいで湯♨銀山温泉行のりば (リニューアル)
山形交通尾花沢線は過去に記事3本アップしましたが、第1回目がブログスタートの直後であれから早や5年、今ではGoogleブログBlogger の環境も大きく変わりました。当時のケチケチサイズの画像も大型化し再編集してリニューアルいたします。跨線橋から見た看板と尾花沢線のりば 1964.08.05昭和39年の夏、ガンガン照りの太陽の下、奥羽本線大石田駅に降り立つと国鉄駅の端に歓迎 仙境のいで湯♨...
View Article遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車(続2)
国鉄キハ41307 大宮の鉄道博物館 2015年7月遠州鉄道二俣線にいた「真っ赤な気動車」3両の内の1両キハ802が鉄道博物館に展示保存されるまでの数奇な運命は「真っ赤な気動車のその後」 で紹介した通りです。再度その経緯と鉄道博物館の今を写真で追ってみました。国鉄キハ41307→遠鉄二俣線キハ802→1967年...
View Article秋田中央交通軌道線 鉄コレに登場
トミーテックの 鉄道コレクション10周年記念製品の第一弾として秋田中央交通軌道線のデワ+ナハフ1両がセットになって11月発売予定とのこと(宵闇さん情報)。これは驚いた。トミーテック新製品インフォメーション八郎潟 1966年3月デワ+ナハフ 五城目-川崎 ナハフ10 五城目
View Article東武日光軌道線 ED602の今
元国鉄ED4010に復元された東武日光軌道線ED602の今を大宮鉄道博物館で改めて眺め、ノーマル電機E611の貨物列車が走っていた風景をこのバケモノ電機ED602に置き換えて当時の日光街中の光景を想像してみました。元国鉄アプト式に復元され展示中のED4010. 大宮鉄道博物館 2015年7月日光軌道線の降坂では運転室のない第1端側を前面にして降りてきた....
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