1967年5月に消えた素晴らしき田舎電車、日の丸自動車・法勝寺電鉄。
1962年夏に訪問した時の米子駅風景が「米子の古典木造電車」でした。
その1年後、同じ場所を撮影した田辺さんの写真を加えその後の車両の変化などを比較してみました。前回の記事より
1962年の夏、国鉄時刻表に表示された「日の丸自動車・法勝寺電鉄」を頼りに山陰本線米子駅に降りる。米子駅の地下道をくぐり反対側に出ると、「日の丸自動車㈱電車部米子市駅」の看板を掲げた駅があり、木造2軸客車を牽いたダブルルーフの木造電車が乗客を待っていた。
荷物をベンチに放り投げ、懸命に撮ったのがこの朝の米子市駅の光景。大正時代の車両がゴロゴロしている光景に、前夜広島から夜行でやって来た朝の眠気も吹っ飛んだひと時であった。
眩しい朝の米子駅風景 1962.07.31
朝日を浴びた木造電車デハ203 (元池上電鉄 日車大正11年製)
明るいブルーと白に近いクリームのそれはそれは素晴らしいツートンカラーであった.
車庫で改装中のデハ205 (元名古屋鉄道103 日車大正11年製) 1962.07.31
細身のデハ203に比べ車幅が広く大柄に見える
以下は全て1年後の米子駅風景 撮影:田辺多知夫氏 1963.07.15
細身のデハ203に比べ車幅が広く大柄に見える
以下は全て1年後の米子駅風景 撮影:田辺多知夫氏 1963.07.15
あの時車庫で改装中だったデハ205はその後鋼体化されこんな姿になっていた。のっぺらした顔になり、派手なカラーリングに変更されたようで203に比べ益々デカ顔に見える。その後さらに不細工になってしまったが最後まで主力で活躍したようだ。
素晴らしいデハ203はカラーリングを変更し廃線までこの姿でいたようだ.
デハ207(元目蒲電鉄 汽車会社大正12年製)
ラッシュ時に使われたのか古典客車フ55、フ52、フ53、フ51が並ぶ米子駅
蒸機列車(C57)が活躍していた山陰本線米子駅. 1963.07.15
浜田機関区に集結したC54が全機全廃の最後を迎えていた1963年.