昭和38年の豊橋市内線の写真を改めて見ると単車ばかりで、ボギー車は三重の神都線からやってきた600形の3両が唯一であった。主力は名古屋市電から大量に入線した500形単車であったが、それ以外にも200、400形の単車が活躍していた。
戦災復興の都市計画でできた堂々たる広さの道路を小さな路面電車が走り、クルマはまだ少なく道路がとても殺風景に見えたものだった。今や各地で路面電車が見直されているが、豊橋市は戦後すぐに路面電車を活かした街づくりがされていた。
全て1963.04.04
駅前から直進し新川の交差点を左に曲がる主力500形の単車.元名古屋市電
唯一のボギー車であった600形.新川
2年前(S36年)に廃線となった三重交通神都線からやってきた.
2年前(S36年)に廃線となった三重交通神都線からやってきた.
昭和51年に廃止された柳生橋支線(新川~柳生橋)を500形が広大な道路を行く.
豊橋駅前へ向かう500形.第三相互銀行のビルは今も第三銀行として残っている.
400形(402) 下一之色電車軌道→名古屋市電→豊橋鉄道
うす暗い早朝の豊橋駅前で赤岩口方面のりばの400形(402)
400形(403)豊橋駅前
200形(201)
500形 豊橋駅前から更に市民病院前まで線路があった.