松代の真田宝物館は屋代線松代駅跡のすぐ近くでした。
宝物館訪問の目的は、嘉永7年(1854年)に横浜に陸揚げされた蒸気車模型を見た絵師が自分の目で書き写した写生絵図が2年前に初めて真田宝物館に寄託されたので、写生絵図とその後の関係を確認することでした。以下は自分なりに確認できたことです。
1.樋畑翁輔の遺稿とは何を指すのか?
松代藩藩士 樋畑翁輔が蒸気車の絵図含め17場面で構成された「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」の絵巻物(12.5m)が翁輔の遺稿であり、これが真田宝物館に寄託された。
この「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物は常設展示でなく今回見ることできなかったが、これが展示された時は、取材カメラなどなかった嘉永7年に初めて見た蒸気車を絵師の目を通して描かれた驚くほど克明な絵図現物を見ることができる。
2.写生絵図そのもの(原画)は現存するのか?
「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物そのものが写生図絵を集めた現存する原画集であった。これを元に着色された様々な模写絵が出回り原画とは少しずつ異なる。
3.昭和5年に上梓された「米国使節彼里提督来朝図絵」(印刷物)との関係は?
樋畑雪湖が父翁輔の写生絵図原画を集めて上記絵巻物に仕上げ、それを元に編集した冊子が「米国使節彼里提督来朝図絵」で、掲載された絵図↓は写生絵図そのものを印刷化していると思われる。
宝物館訪問の目的は、嘉永7年(1854年)に横浜に陸揚げされた蒸気車模型を見た絵師が自分の目で書き写した写生絵図が2年前に初めて真田宝物館に寄託されたので、写生絵図とその後の関係を確認することでした。以下は自分なりに確認できたことです。
1.樋畑翁輔の遺稿とは何を指すのか?
松代藩藩士 樋畑翁輔が蒸気車の絵図含め17場面で構成された「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」の絵巻物(12.5m)が翁輔の遺稿であり、これが真田宝物館に寄託された。
この「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物は常設展示でなく今回見ることできなかったが、これが展示された時は、取材カメラなどなかった嘉永7年に初めて見た蒸気車を絵師の目を通して描かれた驚くほど克明な絵図現物を見ることができる。
2.写生絵図そのもの(原画)は現存するのか?
「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物そのものが写生図絵を集めた現存する原画集であった。これを元に着色された様々な模写絵が出回り原画とは少しずつ異なる。
3.昭和5年に上梓された「米国使節彼里提督来朝図絵」(印刷物)との関係は?
樋畑雪湖が父翁輔の写生絵図原画を集めて上記絵巻物に仕上げ、それを元に編集した冊子が「米国使節彼里提督来朝図絵」で、掲載された絵図↓は写生絵図そのものを印刷化していると思われる。