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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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松尾鉱業鉄道 雲上の都市があった頃

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1966年3月の私鉄めぐりも宿代わりの夜行列車で東北ぐるぐる回りの連続で、松尾鉱業鉄道へ向かう時の寝不足はひどかった。仙台で夜行列車に乗り深夜2時に盛岡に到着し駅待合室で寝て花輪線の一番で松尾鉱業鉄道が出ている大更へと向かった。
松尾鉱業鉄道の雲上の楽園はすでにアップされていますが、同行した田辺さんが東八幡平駅で別角度で撮った写真をアップしてみます。

C61の重連  1966.03.02
このC61の重連も深夜の盛岡で田辺多知夫さんが撮影。

東八幡平の駅の背後に迫る山並みの上にまだ「雲上の都市」の生活があったようだ。この頃鉱山はピークの時代を終え終焉の時代を迎えていたようだが、2両の客車には大更へ下る乗客が結構いた。東八幡平の駅前に生活感は何もないので乗客はみな雲上の都市に生活している人たちだったのでしょう。
終着駅 東八幡平   1966.03.02

殺伐とした東八幡平の駅前には生活を感じさせるものは何も無く地面がツルツルに凍結していた。ここから山の上に鉱山ロープウェイらしきものが見えるが雲上の都市の住民はバスで駅まで降りてきたようだ。

東八幡平からやってきた乗客はここで花輪線に乗り換える.花輪線に乗って盛岡へ買い物のお出かけでしょうか。 大更  1966.03.02


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