私にとって砧線の思い出は吉沢駅から砧本村の区間であった。子供の頃に狛江から自転車をこいでここまで遊びに来た目的は、この区間を走る砧線を見ることと、もう一つは玉川読売飛行場を見る事であった。写真を撮り始めたのはずっと後であったが、オリンパスペンで撮った1964年は子供の頃に見た砧線沿線風景がそのまま残されていたと思われる。
吉沢の踏切 1964年2月
二子玉川園からやってきた電車は急カーブを曲がり多摩堤通りの踏切を渡ると吉沢駅に到着する。
まるで模型のレイアウトのような光景で、吉沢駅を出ると直ぐ野川の鉄橋を渡り右へ曲がる。
吉沢駅 1964年2月
吉沢駅の昔と今
2007.04.15
鉄橋の先を砧線と別れ土堤を越えると、今は河川敷に緑地運動場が開けるが、昔ここに玉川読売飛行場の格納庫と滑走路があった。自動車に牽引されて上昇するグライダーの練習風景や格納庫に新聞社のセスナの機体が並ぶ光景は正にこの場所であった。別世界のような砧線沿線の玉川風景 1964年2月
1964年2月の撮影で場所は少し上流と思われ、この頃はまだ読売飛行場は存在し
砧線の吉沢~砧本村間はこんな長閑な土手の近くを走っていた。
何もない長閑な沿線風景の中を砧本村に到着する.