野上電鉄は紹介済みですが、未使用の写真で昭和40年の野上の車両を紹介します。この頃は関西大手私鉄の残党が殆どであった。以下は前回の紹介文です。
日方駅は国鉄海南駅と接続していないため、80mほど先に乗換え専用の「接続口」駅がある変わった駅であった。この二つの駅の間に拡がっている留置線には、南側に迫る和歌山の山並みを背に、至るところ元阪神の小型車オンパレードであった。よくぞこれだけ同類を集めたもので、5枚窓モハ24以外はどの車両もよく似ている。富山地鉄笹津線からやって来た小さなデ10型が入線したのはこの後の時代であった。後に人気者となった元阪神5枚窓のモハ24は既に入線していた。
野上電鉄で最も大型だった3扉のモハ23(元阪急1形26)。この車両もまた電動機とブリル台車は南海の中古品を流用したらしい。こんな由緒ある名車が活躍していた時代であった。
日方 1965.8.4
左からモハ26(阪神)+クハ104、 モハ31(阪神)+クハ101 日方 1965.8.4
日方駅は国鉄海南駅と接続していないため、80mほど先に乗換え専用の「接続口」駅がある変わった駅であった。この二つの駅の間に拡がっている留置線には、南側に迫る和歌山の山並みを背に、至るところ元阪神の小型車オンパレードであった。よくぞこれだけ同類を集めたもので、5枚窓モハ24以外はどの車両もよく似ている。富山地鉄笹津線からやって来た小さなデ10型が入線したのはこの後の時代であった。後に人気者となった元阪神5枚窓のモハ24は既に入線していた。
野上電鉄で最も大型だった3扉のモハ23(元阪急1形26)。この車両もまた電動機とブリル台車は南海の中古品を流用したらしい。こんな由緒ある名車が活躍していた時代であった。
日方 1965.8.4
日方