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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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昭和41年3月 早朝の大館から弘前へ

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うす暗い大館駅を6:32に青森行鈍行列車が発車した。 秋田・青森の県境矢立峠を補機をつけて越え、弘前まで1時20分ほど。朝の車内の殆どは弘前へ通う高校生達で通学列車であった。山並みが去り勾配を下ると津軽平野が開け遥かかなたに白く光る岩木山が見え、美しい光景だ! いかにも津軽へやって来たという感じがした。到着した弘前の駅は朝の勤客・通学客で活気を帯びていた。


早朝でまだうす暗い大館駅、奥羽本線青森行き鈍行列車が発車する。1966.03.03

昭和41年3月、朝の通学列車が高校生で賑わっていたのは、そうか、団塊世代の第一陣がこの春卒業し、団塊世代の二陣三陣が高校在学していた時代であった。この頃、溢れんばかりの朝の高校生たちを各地に見たのは、ちょうど高校生徒数がピークの時代であったというわけだ。 

C6130

               弘前電鉄 モハ2250の編成。弘前

文化都市弘前に汽車が到着すると高校生たちは殆ど降りてしまった。駅では弘南電鉄の電車が頻繁に発着し大変に活気ある弘前駅であった。この数日後、仲間の一人がまた矢立峠越えを撮りに舞い戻ってきたのを知ったのは最近であった。



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