ネットの京都写真美術館 アーカイブスで見た
安達 浩作品「瞽女 盲目の旅芸人」のモノクロ写真 約80点。
1973年5月、新潟県長岡市、ようやく木々の緑が濃くなり始めたのどかな峠の山道を、三味線を背負って一列になって下って行くその姿に、私はなつかしに似た不思議な感動を覚えた。わが国で最後まで門付けをしていた「長岡瞽女」と呼ばれた彼女たち 家々の戸口に立って三味線を弾いて唄う。迎える村の人々とは、もう長いなじみである。
このような解説を読んで、長岡と1973年に目が留まった。
私が長岡から出ていた栃尾線を訪問したのはこの10年前1963(昭和38)年であった。その10年後の1973(昭和48)年といえば、もはや急速に近代化が進みつつある日本であった。
そんな時代にこのような「盲目の旅芸人」が存在していたことに驚いた。
撮影:1963(昭和38)年3月
どこにでもあった道路の水たまり、上見附駅前の大きな水たまり。
時代を感じさせる駅や周辺の建物。
客車牽引が廃止され総括制御の時代になったのが1970年頃だった
その頃の上見附駅は線路が整理されすっかりシンプルになった。
古びた貨物ホームと周辺の民家。
駅の側線に待機中の車両。