撮影会の朝は廃線後数年が経った草軽電鉄軽井沢駅の跡を探り、その後、国鉄軽井沢駅の構内に入ってD50やED42等を撮って宿舎に戻った。8時頃の朝食を終えると一行と共にバスで軽井沢を出発した。
バスは右に左に国道を20分ほど走り、わりと開けたところでバスを止めて2時間ほど撮っただろうか。ここで各自が思い思いの場所に散って撮影を始めた。
バスは右に左に国道を20分ほど走り、わりと開けたところでバスを止めて2時間ほど撮っただろうか。ここで各自が思い思いの場所に散って撮影を始めた。
撮影:1963年7月21日
トンネルとトンネルの間にめがね橋があり国道沿いに開けたところ。
下ってきたED42×4、トンネル手前の土手では撮影会の先輩2人がカメラを構えている。
上の写真とつながる軽井沢から下ってきたED42×4の回送と、その下を軽井沢へ上るクルマ。昭和38年はまだクルマが普及する前でこの頃のクルマが面白い。
ここは第13橋梁で国道18号(旧道)が2度下をくぐる中尾橋であった。
トンネルの上に登って撮ったのだろう。
トンネルの上に登って撮ったのだろう。
近くでは6日前に開業した新線が走っていた。