当時は今と違って足摺岬へ向かう鉄道は国鉄宇和島or土佐佐賀までで、そこから先は高知県交通各線のバスが走っていた。
足摺岬から高知に出るのに土佐佐賀まで走っていた急行バスを利用したが4時間ほどかかった。当時、中村線は中村(今の四万十市にある駅)までは開通してなく土佐佐賀までだったが、今では中村を通り宿毛まで開通している。
それしても今の路線名は「土佐くろしお鉄道」とか「四万十くろしおライン」とかで何とも分かりにくい。中村線なら一言で分かるのに。そして四万十市は旧中村市だったとは知らなかった、さらに別のところに四万十町というのもある。
足摺岬から高知に出るのに土佐佐賀まで走っていた急行バスを利用したが4時間ほどかかった。当時、中村線は中村(今の四万十市にある駅)までは開通してなく土佐佐賀までだったが、今では中村を通り宿毛まで開通している。
それしても今の路線名は「土佐くろしお鉄道」とか「四万十くろしおライン」とかで何とも分かりにくい。中村線なら一言で分かるのに。そして四万十市は旧中村市だったとは知らなかった、さらに別のところに四万十町というのもある。
1968年の路線
はりまや橋交差点の賑わい。1968.5.5
はりまや橋交差点は過去何回かアップしてきました。この交差点はどこを撮っても似たような風景になってしまい魅力的ではないですが、今回の画像は初めてアップするものです。
この日も5月晴れでスカットした天候がいかにも南国土佐の感じがしたものだった。
ペギー葉山が唄う「南国土佐を後にして」が大ヒットしたのは1960年頃であった。