北海道のUsuiさんから知らせて戴いた上林暁の「花の精」の一節は、こんな是政線と月見草の話である。
その日の午後、私達は省線武蔵境駅からガソリン・カアに乗った。是政行は二時間おきしか出ないので、仕方なく北多磨行に乗った。そこから多摩川まで歩くのである。私は古洋服に、去年の麦藁帽子をかぶり、ステッキをついていた。O君は色眼鏡をかけ、見ずに入る用意にズックの靴をはき、レイン・コオトを纏って、普段のO君とまるで違い、天っ晴れ釣師の風態であった。ガソリン・カアは動揺激しく、草に埋もれたレイルを手繰り寄せるように走って行った。風が起こって、両側の土手の青草が、サアサアと音をたてながら靡くのが聞こえた。私達は運転手の横、最前部の腰掛に坐っていた。
「富士山が近くに見えるよ。」とO君が指さすのを見ると、成る程雪がよく見える。
多磨墓地前で停車。あたりは、石塔を刻む槌の音ばかりである。次が北多磨。そこで降りて、私達は線路伝いに、多摩川へ向かって行った。麦が熟れ、苗代の苗が延びていた。線路は時々溝や小川の上を跨っていて、私達は枕木伝いに渡らねばならなかった。
「七時五十五分、最終のガソリン・カアで、私達は是政の寒駅を立った。乗客は、若い娘が一人、やはり釣がえりの若者が二人、それにO君と私とだった。自転車も何も一緒に積み込まれた。月見草の束は網棚の上に載せ、私達はまた、運転手の横の腰掛に掛けた。線路の中で咲いた月見草を摘んでいた女車掌が車内に乗りこむと、さっき新聞を読んでいた駅員が駅長の赤い帽子を冠り、ホームに出て来て、手を挙げ、ベルを鳴らした。
ガソリン・カアはまた激しく揺れた。私は最前頭部にあって、吹き入る夜風を浴びながら、ヘッドライトの照らし出す線路の前方を見詰めていた。是政の駅からして、月見草の駅かと思うほど、構内まで月見草が入り込んでいたが、驚いたことには、今ガソリン・カアが走って行く前方は、すべて一面、月見草の原なのである。右からも左からも、前方からも、三方から月見草の花が顔を出したかと思うと、日に入る虫のように、ヘッドライトの光に吸われて、後へ消えて行くのである。それがあとからあとからひっきりなしにつづくのだ。私は息を呑んだ。それはまるで花の天国のようであった。毎夜毎夜、この花のなかを運転しながら、運転手は何を考えるのだろうか? うっかり気を取られていると、花のなかへ脱線し兼ねないだろう
花の幻が消えてしまうと、ガソリン・カアは闇の野原を走って、武蔵境の駅に着いた。是政から帰ると、明るく、花やかで、眩しいほどだった。網棚の上から月見草の束を取り下ろそうとすると、是政を出るときには、まだ蕾を閉じていた花々が、早やぽっかりと開いていた。取り下ろす拍子に、ぷんとかぐわしい香りがした。私は開いた花を大事にして、月見草の束を小脇に抱え、陸橋を渡った。
上林暁 1902~1980年
「花の精「の執筆は38才くらい、からすると1940年以前の是政線ということになる。
是政線に在籍していたカゾリンカーは1928年製キハ10形(木造車体)と1938年製キハ20形(鋼板車体)がある。木造のキハ10が実に小説にピッタリ。
その日の午後、私達は省線武蔵境駅からガソリン・カアに乗った。是政行は二時間おきしか出ないので、仕方なく北多磨行に乗った。そこから多摩川まで歩くのである。私は古洋服に、去年の麦藁帽子をかぶり、ステッキをついていた。O君は色眼鏡をかけ、見ずに入る用意にズックの靴をはき、レイン・コオトを纏って、普段のO君とまるで違い、天っ晴れ釣師の風態であった。ガソリン・カアは動揺激しく、草に埋もれたレイルを手繰り寄せるように走って行った。風が起こって、両側の土手の青草が、サアサアと音をたてながら靡くのが聞こえた。私達は運転手の横、最前部の腰掛に坐っていた。
「富士山が近くに見えるよ。」とO君が指さすのを見ると、成る程雪がよく見える。
多磨墓地前で停車。あたりは、石塔を刻む槌の音ばかりである。次が北多磨。そこで降りて、私達は線路伝いに、多摩川へ向かって行った。麦が熟れ、苗代の苗が延びていた。線路は時々溝や小川の上を跨っていて、私達は枕木伝いに渡らねばならなかった。
「七時五十五分、最終のガソリン・カアで、私達は是政の寒駅を立った。乗客は、若い娘が一人、やはり釣がえりの若者が二人、それにO君と私とだった。自転車も何も一緒に積み込まれた。月見草の束は網棚の上に載せ、私達はまた、運転手の横の腰掛に掛けた。線路の中で咲いた月見草を摘んでいた女車掌が車内に乗りこむと、さっき新聞を読んでいた駅員が駅長の赤い帽子を冠り、ホームに出て来て、手を挙げ、ベルを鳴らした。
ガソリン・カアはまた激しく揺れた。私は最前頭部にあって、吹き入る夜風を浴びながら、ヘッドライトの照らし出す線路の前方を見詰めていた。是政の駅からして、月見草の駅かと思うほど、構内まで月見草が入り込んでいたが、驚いたことには、今ガソリン・カアが走って行く前方は、すべて一面、月見草の原なのである。右からも左からも、前方からも、三方から月見草の花が顔を出したかと思うと、日に入る虫のように、ヘッドライトの光に吸われて、後へ消えて行くのである。それがあとからあとからひっきりなしにつづくのだ。私は息を呑んだ。それはまるで花の天国のようであった。毎夜毎夜、この花のなかを運転しながら、運転手は何を考えるのだろうか? うっかり気を取られていると、花のなかへ脱線し兼ねないだろう
花の幻が消えてしまうと、ガソリン・カアは闇の野原を走って、武蔵境の駅に着いた。是政から帰ると、明るく、花やかで、眩しいほどだった。網棚の上から月見草の束を取り下ろそうとすると、是政を出るときには、まだ蕾を閉じていた花々が、早やぽっかりと開いていた。取り下ろす拍子に、ぷんとかぐわしい香りがした。私は開いた花を大事にして、月見草の束を小脇に抱え、陸橋を渡った。
上林暁 1902~1980年
「花の精「の執筆は38才くらい、からすると1940年以前の是政線ということになる。
是政線に在籍していたカゾリンカーは1928年製キハ10形(木造車体)と1938年製キハ20形(鋼板車体)がある。木造のキハ10が実に小説にピッタリ。