以前ブログにアップした山陽電軌幡生線、そこにあった金比羅駅の1枚の写真で下記コメントを戴きました。コメントにあった1962年に金比羅駅近くの高台から見た幡生線が金比羅~大坪間で山陽本線を超える風景に大変興味深いものがあり調べてみました。
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金毘羅駅、なつかしいです。1962年小1だった私はこの駅を降りて左にみえる道路を渡り坂道を登って海が見える高台の画家さんのアトリエに行っていました。大坪から金毘羅駅の途中が立体交差になっていて下を車が行き来している光景が子供にとっては都会のイメージとして強烈に残っています。今見るとずいぶん戦後っぽい景色だったことが分かり、それはそれで感慨深いです。まりさんのコメント
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小ブログで以前アップした金比羅駅の写真は1枚でしたが、よほど気に行った駅だったのか5枚も撮ってありました。
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金毘羅駅、なつかしいです。1962年小1だった私はこの駅を降りて左にみえる道路を渡り坂道を登って海が見える高台の画家さんのアトリエに行っていました。大坪から金毘羅駅の途中が立体交差になっていて下を車が行き来している光景が子供にとっては都会のイメージとして強烈に残っています。今見るとずいぶん戦後っぽい景色だったことが分かり、それはそれで感慨深いです。まりさんのコメント
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小ブログで以前アップした金比羅駅の写真は1枚でしたが、よほど気に行った駅だったのか5枚も撮ってありました。
幡生駅、金比羅駅、背後の道路、の位置関係で、画家のアトリエがあった小高い丘は金比羅公園のあたりでしょう。日本海が目の前です。高台から見下ろした当時の風景はどんなに素晴らしかったことでしょうか。
幡生線の遺構は金比羅~武久間の武久川を渡る橋梁跡とその先に続くカーブくらいで、山陽本線をオーバークロスする遺構は不明。赤のラインが幡生線跡で黄色のエリアが金比羅駅があったところと推定されます。
以下の写真はすべて幡生へ向かって撮ったもので左手が日本海側です。1967.2.27
下関方面から金比羅駅に到着する幡生行
左の道路は今や4車線の立派な道路に。
まもなく終点で金比羅を発車するときは行先を彦島口に変えている。
左の商店の裏手が時代を感じさせます。
幡生から戻って来た辛島口行。
右手の民家風も戦後を感じる凄い建屋です。
金比羅駅前にあるのはどうやら電器屋さんみたい。