山陽電軌 金比羅駅
以前ブログにアップした山陽電軌幡生線、そこにあった金比羅駅の1枚の写真で下記コメントを戴きました。コメントにあった1962年に金比羅駅近くの高台から見た幡生線が金比羅~大坪間で山陽本線を超える風景に大変興味深いものがあり調べてみました。--------------------------------------------------------------------金毘羅駅、なつかしいです。19...
View Article加悦の古典車両1
今、話題の加悦鉄道の保存車両。散り散りにどこかへ身売りされていくのでしょうか。1962年、これらの古典客車はまだ現役でした。そして、この5年後まだこれら古典客車が使われていたのが驚きです。とても繊細で華奢なつくりを感じます。当時、加悦駅構内に留置していた古典客車を改めてアップしてみます。撮影:1962.7.31 加悦ハブ2+ハ21+ハ20+ハブ3注目のハブ3 ハ21ハブ2ハブ2ハ10ハブ6
View Article加悦の古典車両2
加悦の蒸機など古典車両は何度も取り上げていたので、今回は加悦の建物や施設を取り上げてみました。すべて過去にアップしたことがあるもので再掲です。撮影:1962.7.31 大江山と丹後ちりめんの里加悦町に似合う素晴らしい終着駅. 格調ある加悦駅の現役時代 貨物ホーム上屋。機関庫の前で休む片ボギー車キハ101 (昭和11年日車製)機関庫の脇にあった給水塔。...
View Article最後の池袋発 直通三峰口・長瀞行
3月14日に実施する西武鉄道ダイヤ改正で、土休日の朝夕に運転される秩父鉄道直通列車の運転区間が見直しとなり、今日が最後の池袋発 直通三峰口・長瀞行。白いセミクロスシート車4000系が消える訳ではなく4000系が池袋~飯能間を走ることが無くなるだけのことですが、最終日の池袋発秩父鉄道直通で三峰口まで乗ってきました。...
View Article尾小屋鉄道乗車の思い出
今年2月はじめに小松高校同窓会で尾小屋鉄道の思い出を聞かせてもらいました。私より先輩方の体験であり私が知らない昭和30年前後の尾小屋鉄道です。小学生から高校生まで尾小屋鉄道とどんな関わりがあったのか思い出を書いて戴きました。〇小学生時代私は東京で生まれ、疎開先の福島から、国民学校2年の時に、尾小屋に来ました(昭和23年、1948年)。尾小屋鉱山が活況の時でした。病院や映画館や風呂場があり、床屋、八百...
View Article鉄道模型趣味誌の連載記事 第10回
今月発売の鉄道模型趣味(TMS)4月号は土佐電気鉄道の御免町ジャンクションです。早いもので今月号で連載10回になります。たった2ページの写真記事ですがえらい手間をかけています。先日もキーポイントになる山の名称確認に大変時間が掛かりました。果たしてあと何回続けられるか。1969年、御免町駅での軌道線⇒鉄道線への乗入れ風景です。
View Article熊本電鉄 泗水(しすい)の朝 続編
私の写真集で熊本電鉄の泗水(しすい)の朝を2枚組の写真でとり上げましたが、写真集では取上げなかった写真を追加して並べてみると面白いことが分かります。撮影:1967.3.6...
View Article熊本電鉄の有蓋貨車ヤ
熊本電鉄の愉快な有蓋貨車ヤについて整理してみます。ヤ1~4とヤ5があって、ヤ1~4は3'→3'6''改軌時に用意された有蓋貨車。それと客車ハ31、32が改軌時に用意された客車で、これは軌道線時代の有蓋貨車を客車に改造したもの。上記の客車ハ31を車体側面の窓やデッキ部分を鋼板で塞いで有蓋貨車としたのがヤ5。元から有蓋貨車であったヤ1~4。...
View Article鉄道模型趣味誌の連載記事 第11回
今回のTMS 5月号は「月山と三山(さんざん)電車」です。5月の山形交通三山線と言えば春スキーの月山と桃園の花。出羽三山の一つ「月山」がキーポイントになります。そこで使ったのがこの1枚の月山の写真です。たった1枚の小さな写真で月山の確定になんと手間どったことか。山のカタチと白銀が月山に見えるが、三山線の北側から羽前高松行を撮ってほんとうに月山が電車の背後に写るのか?...
View Articleコロナのこと
ブログも気がつけば前回のTMS紹介記事(三山線)から早や20日あまり。2月からコロナのニュースに釘づけとなりブログもすっかり停滞してしまいました。今、私は不要不急の外出を除く最小限の外出で今まで通りの生活を送っています。コロナで社会、価値観、何もかもが変わる、まさかと思う時代が確実に進んできているのを独居老人の私にはまだまだ実感が薄いと思います。私も3月15日から電車に乗っていない。人と会うのもあの...
View Article一面桑畑の丹荘駅
1962(昭和37)年12月、八高線で丹荘駅に下りると、良く晴れた暖かな12月の陽ざしを受け丹荘駅の構内片隅に鋼板張りの2軸客車が休んでいた。これが元川越鉄道の木造マッチ箱客車であったことを知ったのは最近であった。撮影:...
View Article別府鉄道の遺産
別府港からJR土山まで走っていた別府鉄道土山線の廃線は1984年1月。その翌年11月にJR土山駅から延びる廃線跡脇に開館した播磨町郷土資料館。この郷土資料館を訪問された落合宏さんからここに展示されている別府鉄道の遺産の写真を送って戴きました。私は全く知らなかったですが、最後まで走っていた土山線の車両や鉄道遺産が保存されていて感心しました。関西からは多くのファンが訪れていることでしょう。屋外で展示され...
View Article北陸鉱山のゴンドラ
1970(昭和45)年のSL運転会で観音下~倉谷口で撮った写真の背景に鉱山用ゴンドラが見えた。昭和37年の日本鉱業の尾小屋鉱山閉山で、引継いだ北陸鉱山が細々と採掘を続けていたようで写真の翌年の北陸鉱山閉山までゴンドラは使われていたかも知れない。撮影:1970.11.3鉱山用ゴンドラが見える観音下~倉谷口...
View Articleある日の尾小屋鉄道
1970年11月の尾小屋SL5号機の運転会の記録を調べていたら、当時の尾小屋鉄道のこんな日常記録がありました。尾小屋の5号機運転会の前日18:08に小松駅に到着。新小松駅で東京から来ている2人と合流。尾小屋行きのDLが牽く3両編成の軽便列車は夕方のラッシュ時で金沢あたりからの務め帰りなのか都会的な女性もたくさん乗っていた。軽便のオープンデッキも鈴なりで若い人の楽しそうな会話がはずんでいる。この鉄道の...
View Article鉾田線 桃浦駅のこと
関東鉄道鉾田線(その後の鹿島鉄道)を訪ねたのは1966年夏、もう54年も前のことでした。先日、facebookに投稿したのがこの桃浦の1枚。霞ヶ浦に日が沈む頃、夕陽を浴びて桃浦を行くキハ42201。1966.8.28旧東横キハ2両のうちこの42201は翌年に両端を切妻2枚窓に改造されてしまった。美しい流線型に金太郎塗分けで活躍していた旧東横の42201最後の夏だったかも知れない。旧東横の2両は塗装変...
View Article鉄道模型趣味誌70号(1954年) 加悦鉄道を訪ねて
鉄道模型趣味誌70号(1954年6月号)に掲載された「加悦鉄道を訪ねて」の懐かしい記事。昭和29年発行で私が兄の鉄道模型趣味誌を見たのは小学生でした。FBの友人に送ってもらった記事の1ページ(撮影画像)です。当時の模型趣味誌の地方私鉄めぐり実物紹介記事はこんなだったのですね。写真の加悦鉄道は1952(昭27)年です。1952(昭27)年の在籍車両。この頃は明治生まれの2号機が朝夕客車を牽いていたそう...
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