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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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福島交通軌道線 湯野町 リニューアル

福島交通の湯野町を取り上げたのは2011年11月29日。何点か画像を追加してリニューアルしてみます。先日アップしたデルタ線の聖光学院前から湯野町までは飯坂東線(福島駅前~長岡分岐点~湯野町13.2km)の一部であり、私が勝手に呼んだ湯野町線という呼び方ではなかった。福島から一直線の延びる飯坂温泉行きの立派な鉄道線と違って、湯野温泉行きの路面電車はその駅名からしてひなびたムードがあった。長岡分岐点から...

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朝の浅間温泉

温泉といえば浅間温泉行きの軌道線 松本電鉄浅間線。ひなびた木造電車と対照的だったのが立派な洋館風駅舎であった。昔も今も高級感ある温泉地の感じがする。撮影:1963.7.20朝の日が差してきた浅間温泉駅。立派な駅舎。浅間温泉駅松本市内へ発車した朝の通勤電車。下り電車がまもなく浅間温泉に到着する。中浅間近辺

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花巻電鉄 中央花巻駅

今日発売の鉄道模型趣味(TMS) 7月号は連載第13回の「街中の中央花巻駅」です。花巻電鉄鉄道線は花巻中央から花巻温泉まで走っていましたが、その始発駅は国鉄花巻駅ではなく街中にあった中央花巻駅でした。かって、岩手軽便鉄道と花巻電鉄が並んだ(軽鉄)花巻駅の位置関係は図示の通りです。TMS No.942号 7月号TMSに載せた中央花巻駅は電車のいない駅全体の写真です。 1964.8.2岩手軽便鉄道...

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流山駅の貨物線

58年前の流山鉄道流山駅にあった貨物ホームの写真はこの1枚のみ。ここからキッコーマン醤油の工場に貨物線が延びていて、今も道路のカーブに貨物線の跡が残っている。当時のメモにあった「まんじょう」とは「万上みりん」のようだ。当時、メモした貨物ホームの構内配線図とネットにある写真や廃線跡と異なるのでもう少し調べることにした。流山駅の貨物ホームにいた魅力的な貨車ワフ31。ここのポイントから右方向に醤油工場まで...

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流山駅の貨物線2

1962年の流山駅において、万上味醂の野田醤油(現:流山キッコーマン)工場へ延びていた貨物線と貨物駅はほぼこれで間違いないと思われます。皆さまからの情報提供ありがとうございました。1960年当時の貨物駅の上屋やホームは、RMライブラリー(上)にあった貨物駅の写真2点(流鉄提供)によりやっと判明した。

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銚子電鉄 夏の日

facebookで銚子電鉄のポール電車デハ201(木造車時代)に沢山のコメントが寄せられましたので、2012年にアップした「銚子電鉄 夏の日」を再び紹介したいと思います。 撮影:1963.6.30...

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銚子電鉄 夏の日2

木造電車デハ201を集めてみました。車体が傾いているのか線路が傾いているか、いつも木造電車は傾いていた。走行中はギジギシ音が出そうな木造車体。撮影:1963.6.30外川駅風景仲ノ町で入替作業中のデハ201。洗濯物が生活感を感じさせてくれる。海辺の林を行く。満員電車。銚子から中ノ町に到着する木造電車は満員。仲ノ町で電機を切り離して外川へ向かう木造電車。

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流山の「万上みりん」

先日の流山駅の貨物線で、当時の貨物線(野田醤油工場)で運んでいたのは醤油ではなく「万上みりん」の製品や原材料であったようだ。流山の工場は当時野田醤油(株)で今はキッコーマンのグループ会社流山キッコーマン(株)になって「万上みりん」を作り続けている。(流山の街に詳しいレイさんの情報より)キッコーマン醤油(販売者:キッコーマン食品(株))と「万上みりん」(製造者:流山キッコーマン(株))

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銚子電鉄 夏の日3

銚子駅に戻ってみると日は傾き始め、夕方の駅周辺を撮ったのがこれらの画像で、駅の東方では盛んに蒸機が入替作業中で銚子機関支区では何両も蒸機が煙を吐いていた。撮影:1962.6.30銚子駅前銚子駅の東側に延びる引込み線で盛んに貨物入替をやっていたC58。東←...

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14年昔の写真展

2006年は退職した翌年で、仙台でこんなことがありました。14年前のこの時は自分の趣味生活がスタートした年。表参道で軽便鉄道写真展を開催し、その後仙台でも開催しました。まだブログもFBもやっていなかった頃。2006年7月金融機関の2階が画廊であった。

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井笠鉄道 井原駅

1962(昭和37)年の井笠鉄道で貨物輸送はトラック輸送に奪われ年々減少の一途をたどっていて、この頃は小口貨物が主体であったようだ。井原駅には立派な貨物上屋がありリヤカーに積んで運んでいる風景が写真に写っている。貨車を連結した混合列車も走っていた。こんな立派な井原駅も1967年4月に矢掛線、神辺線が廃線後は急激に変貌し、ボーリング場がある駅に建替え、その後すぐに鉄道が廃線となりバスターミナルになって...

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霞ヶ浦湖畔 桃浦

鉄道模型趣味(TMS) 8月号は連載第14回目、関東鉄道鉾田線の「霞ヶ浦湖畔 桃浦」です。関東鉄道鉾田線(元鹿島参宮鉄道)は2007年3月に廃線となった「鹿島鉄道」のずっと昔、当時も常磐線石岡から霞ヶ浦の奥にある鉾田を結んでいた。1966(S41)年夏の終わりに鉾田線の霞ヶ浦湖畔「桃浦」を訪ねてみた。先月に「鉾田線...

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1962年夏 くじ場車庫

1962年夏に撮影した井笠鉄道のネガもいよいよビネガーシンドロームで最後を迎え、改めてスキャニングをやり直してみました。くじ場車庫では様々な車両が賑やかに保管されていた時代であった。真夏のくじ場駅1962年夏のくじ場には様々な単端や単端崩れがいて、その中に下津井電鉄カハ2が井笠に来て客車化されたハ18がいた。1号機の背後では客車の木工作業が行われている。有名なコッペル1号機くじ場の保存、現役車両ハ1...

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奥山線 気賀口~奥山間区間廃線の直前

これもストロー状となった末期状態のネガを最後のスキャンをしたものです。再スキャンするたびに画素数を高めて行くので果てしない作業となり、どこかで欲を捨て妥協せざるをえません。1963年4月30日で区間廃線(気賀口~奥山間)の最後の頃です。撮影:1963.4.4 曳馬野から牽いてきた客車を切り離し奥山へ向かうキハ1804。気賀口...

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淡路への道

昭和40(1965)年、夏休みの淡路行は旅の相棒さんと淡路まで一緒でその後のコースは別行動にする折衷案でやっと決定した。淡路へまでは東海道線ではなくわざわざ信越本線に乗って北陸本線富山から夜行で大阪へ向かうコースであった。とりわけ信越本線長野以遠の蒸機列車を楽しむ目的が大きかった。初日8月1日は上野発6:24の長岡行鈍行列車に乗って信越本線の旅がスタートした。高崎からは登山やキャンプや避暑に行く若者...

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淡路交通 掃守(かもり)駅

淡路交通の写真で駅が分からないのが多いが、この3枚の写真は一体どこの駅なのか。パンタ車の向き、線路配置、建屋、交換可能駅などいろいろメモに書き出してみると3枚の写真はどれも賀集ではなく掃守(かもり)であることが判明した。終点の福良から元南海たまご型に乗って長田に向かう途中に撮ったものであった。撮影:1965.8.2洲本からやってきた福良行き電車モハ1002。福良からやってきた洲本行電車モハ1003(...

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淡路交通 長田駅

福良から目ぼしをつけた長田駅で下車したのは長田~広田間を撮り歩く目的であった。この2枚の写真が長田駅であるのは駅名表示板からすぐ確定できた。長田駅は石碑や花壇のある変わった駅の印象があった。撮影:1965.8.2花壇があり明るい感じがする長田駅にやってきた洲本行モハ1010+モハ1011は淡路交通を代表するような電車。石碑がある変わった長田駅。広田←長田→掃守であるのが分かる。長田駅の駅舎と福良行き...

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広島電鉄 被爆車両651~653

あの日、原爆を生き延びた被爆車両が、8月6日と、復旧を遂げた8月9日の2回、広島の街を午後1時から特別運行する。(ニュースより)広島では現在3両の被爆車両「650形」が動く形で保存されているそうで、50年前に撮った651~653を探してみました。撮影:1967.3.7直進すると相生橋を渡る.十日市町の653軌道線と鉄道線の接点 己斐(西広島)駅の651 広島駅前の652

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淡路交通 長田から広田へ

長田で下車して長田~広田間を撮ったコマを時系列に並べてみました。風景は道路のホコリで真っ白、とても俯瞰写真を撮るどころではなかった。やって来る電車が様々で大変に変化に富んでいた。現在の地図の地形に置いてみた淡路交通の軌道と駅。軌道跡が今も電車道として残っている。長田の先の急勾配を行くモハ1002。淡路らしい玉ネギ小屋が各所にありこの小屋は今も残っている。ホコリだらけの茂み。モハ1010+モハ1011...

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浅野川線の七ッ屋

昭和39年、金沢駅前で浅野川線に乗って一つ目の七ッ屋は、小さな検車庫と奇妙な駅舎があって興味深い一角であった。検車庫が内灘に移転した後の七ッ屋はホームと待合室だけの殺風景な駅になってしまった。前回の七ッ屋車庫の紹介前回の七ッ屋駅の紹介撮影:1964.12.31 とても味わい深い七ッ屋の駅舎。...

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