1962(昭和37)年の井笠鉄道で貨物輸送はトラック輸送に奪われ年々減少の一途をたどっていて、この頃は小口貨物が主体であったようだ。井原駅には立派な貨物上屋がありリヤカーに積んで運んでいる風景が写真に写っている。貨車を連結した混合列車も走っていた。
こんな立派な井原駅も1967年4月に矢掛線、神辺線が廃線後は急激に変貌し、ボーリング場がある駅に建替え、その後すぐに鉄道が廃線となりバスターミナルになっている。その後、井笠バスも消滅してしまい中国バスが井笠バスカンパーを設立した。改めて井笠鉄道末期の悲劇を思い知らされました。
こんな立派な井原駅も1967年4月に矢掛線、神辺線が廃線後は急激に変貌し、ボーリング場がある駅に建替え、その後すぐに鉄道が廃線となりバスターミナルになっている。その後、井笠バスも消滅してしまい中国バスが井笠バスカンパーを設立した。改めて井笠鉄道末期の悲劇を思い知らされました。
撮影:1962.7.30
井原駅1番線ホームと貨物上屋。