関東鉄道鉾田線(その後の鹿島鉄道)を訪ねたのは1966年夏、もう54年も前のことでした。
先日、facebookに投稿したのがこの桃浦の1枚。
旧東横キハ2両のうちこの42201は翌年に両端を切妻2枚窓に改造されてしまった。美しい流線型に金太郎塗分けで活躍していた旧東横の42201最後の夏だったかも知れない。旧東横の2両は塗装変更して1976年まで活躍した。
ところで、この湖畔の1枚を撮ってから霞ヶ浦の帆曳船を眺めながら引き返した桃浦駅のことを書きたかったが写真が1枚もなし、あったのは2007年の廃線直前に撮った無人駅の桃浦でした。そこで駅員が駐在していた頃の桃浦駅の写真をお借りしました。
先日、facebookに投稿したのがこの桃浦の1枚。
霞ヶ浦に日が沈む頃、夕陽を浴びて桃浦を行くキハ42201。1966.8.28
旧東横キハ2両のうちこの42201は翌年に両端を切妻2枚窓に改造されてしまった。美しい流線型に金太郎塗分けで活躍していた旧東横の42201最後の夏だったかも知れない。旧東横の2両は塗装変更して1976年まで活躍した。
ところで、この湖畔の1枚を撮ってから霞ヶ浦の帆曳船を眺めながら引き返した桃浦駅のことを書きたかったが写真が1枚もなし、あったのは2007年の廃線直前に撮った無人駅の桃浦でした。そこで駅員が駐在していた頃の桃浦駅の写真をお借りしました。
有人駅だった頃の桃浦駅 1981年。良玄通信さんのサイトより許可得て掲載。
1963年2月には貨物営業を廃止している。
あの1966年の夏、霞ヶ浦の湖面に陽を反射しながら沈みゆくオレンジ色した夏の太陽と情緒ある帆曳船を眺めながら1日の撮影を終えた。湖畔から夕暮れの桃浦駅に戻ると委託駅の駅員さんから冷たいスイカをごちそうになり美味かったこと。ポツンと燈がついたクモの巣だらけの裸電球の下にテニス帰りの高校生たちが賑やかに集まってきた。
41年ぶりに訪問した桃浦駅。'07.03.08
丸太小屋風に建替えられた無人駅桃浦。
霞ヶ浦湖水浴の時代には桃浦の駅も賑わったことでしょう。