雄勝線 西馬音内の駅舎と家族連れ 拡大
オリンパスペンのネガで西馬音内の駅舎が写ったコマの次に七夕まつりが写っていて、てっきり湯沢の七夕と思っていたら、それは仙台の七夕であった。西馬音内の駅舎に写っていた家族連れを見ていると、仙台七夕まつりに写った当時の家族連れを見てみたくなりました。1964(昭和39)年、日本は東京オリンピック開催、東海道新幹線開業に湧いた年であった。大卒初任給2万1千円、男性の平均寿命67.7才、エアコン普及率1.7%、白黒テレビ普及率87.8%、ハガキ5円等、こんな時代の七夕まつりの光景を見ると一族連れだって出掛ける家族が多かったようで、幼児は母親か祖母に背負われ、その周りに手をつないだ子供達が多いこと。この1964年あたりを境に日本の社会は何もかもが大きく変貌して行った。
仙台「七夕まつり」の中心部「中央通名掛丁」入口.仙台市電 元寺小路 1964.08.08
東一番丁(仙台郵便局前)
仙台「七夕まつり」の家族連れ