沼尻鉄道 川桁にいた車両
川桁にいた車両ですが、人気の沼尻鉄道の車両は経歴などが多くの書物に紹介されているので省略し、今後の「軽便の狭いせんろ」と「軽便のアーチバー台車」模型シリーズが完了後に模型化からみた「沼尻鉄道の車両」を続けてみます。DC121 川桁 1964.01.03ワフ3ガソ101...
View Article雄勝線 西馬音内~湯沢
秋田の米どころを走っていた羽後交通雄勝線。先日、地元の方々の湯沢facebookを拝見し、またあの夏の光景が懐かしくなりました。訪問した1964年の後、雄勝線は動力変更で電車を気動車と入替えて非電化線として生き延びるという運命をたどり1973年4月に廃線となりました。1964年夏の夕方、湯沢から西馬音内まで乗って西馬音内の車庫で美しく保守整備された車両達に驚き、予定変更し翌朝また湯沢から出直して順光...
View Article雄勝線 西馬音内電車区(リニューアル)
2010年6月に2回アップしました「西馬音内電車区」について写真の入替え追加をしてリニューアルします。西馬音内駅にあった西馬内電車区には整備がよく行き届いた古い車両が様々いたのが驚きであった。西日を浴びた西馬音内電車区には古典車がゴロゴロし、駅にはお客を載せた古典二軸客車が発車を待っていた。あと10日もすれば幻想的な西馬音内盆踊りが始まるが、この西馬音の古典車がいる電車区と駅も幻想的な光景であった。...
View Articleお知らせ 「軽便の狭いせんろ」
このところ「軽便の狭いせんろ」シリーズの記事ページビュー数が突然上昇し始め、これは何なのか? 調べてみると、やはり軽便鉄模アンテナ雑記帳さんでした。いつもありがとうございます。「軽便の狭いせんろ」のシリーズはまだ終了ではなく、これから結論をアップして予定です。O番ナローは後回しとし、16番ナロー、HOナローを先に結論出す予定ですが簡単なサンプル品さえ部材集めに遅々としている私です、暫くお待ち下さい。...
View Article軽便の狭いせんろ サンプル品の比較(16番、HO)
「軽便の狭いせんろ」シリーズは記事最下部にあるラベル「鉄道模型」をクリックして戴くと今までの全記事が繋がります。能書きは後回しとし結果を急ぎます。16番、HOナロー用の線路として、シノハラ...
View Article雄勝線 西馬音内駅
羽後交通雄勝線が電車→気動車に動力変更になってからの西馬音内(にしもない)は仮設駅となってしまい、光景が一変してしまったようだ。駅のホームや駅舎、電車区の車庫などまだ健在だった頃の西馬音内駅の光景を集めてみました。西馬音内駅の佇まい.右手に車庫、左手に駅舎がある.1964.08.05西馬音内駅西馬音内の駅舎とホーム.貨車が停まっているところが貨物ホーム.ホームには湯沢からやって来たデハ7の客貨混合列...
View Article秩父鉄道の電車
昨年9月にアップしました「熊谷駅の古典電機」で秩父鉄道の電機を紹介したことがありますが、同じ場所で撮った秩父鉄道の電車を集めてみました。秩父鉄道で1988年に消滅した100形電車と云えば。正面中央窓が幅広でHゴム3枚窓の何の変哲もない電車であったが、写真を撮った1965年の100形をよく見るとマルーンに白帯の旧カラー車が居て、両運転台のモハがクハニ(ユ)と組んだ旧カラー車の編成が走っていた。また片運...
View Article箱根登山鉄道 紫陽花の季節
あれから5年、今年は箱根へ行ってみたいものです。彫刻の森-小涌谷 2008.07.02大平台-宮ノ下 2008.07.02大平台 2008.06.17宮ノ下 2008.07.02
View Article小田急電鉄 成城の坂今昔
昔、小田急線が成城から喜多見へ下る成城の坂(国分寺崖線)のところに富士見橋や不動橋が架かり、その先の道路の不動坂を下ると不動尊があった。今も不動坂と不動尊は変わらないが、成城駅の地下化、喜多見駅の高架化、複々線化で小田急線の「成城の坂」の風景はすっかり変わってしまった。50年近い昔の風景と今を比較してみました。ところで先日地下化された下北沢駅もきっとこんな商業ビルや駅前ロータリーの風景になってしまう...
View Article小田急電鉄 成城の坂(続)
前回の「成城の坂」の風景を更に追加し、その数日後に撮った小田急の日常風景です。左の木立の中に不動堂が建つ. 成城-喜多見 1964.02.25前年1963年3月にデビューした特急NSE車が行く.喜多見から成城の坂を登る. 成城-喜多見昭和30年代に独特の景観があった国分寺崖線. 成城-喜多見...
View Article小田急電鉄 NSE登場の頃
新特急車NSE3100形は第1編成が1963(昭38)年1月、第2編成が2月にそれぞれ完成し、社線での試運転、各種試験測定を経た後、2編成が3月から営業開始したそうだ。1963年2月に沿線や経堂車庫で撮ったNSEを見てみると、確かに営業開始前の「試運転」が表示されていた。この頃、NSEの登場を見に経堂車庫に駆けつけたのだが、先代SE車が登場した時のような衝撃はなく、さらに先代の特急1700形から続い...
View Article相模鉄道の電機
1964年の2月、小田急で雪の「成城の坂」を撮った直前に国鉄相模線橋本のC11を訪問していた。雨模様のこの日、橋本へ向かう途中に厚木で見た相鉄の貨物列車はこんな風景で、この前年秋に相模大塚で開催された元小田急1100形見学会で見たあのイモムシのようなED10形であった。厚木駅を出発し雨煙る中 相鉄貨物線を行くED10形...
View Article日立電鉄 元小田急1100形
小田急1100形は昭和22年に相模鉄道に9両が譲渡され、昭和35年には小田急→日立電鉄へ4両が譲渡されている。そして昭和39年に相模→日立へ3両、さらに54年に相模→日立へ3両が転入され、日立電鉄では元小田急1100形が計10両在籍していた。相模鉄道での改造、日立電鉄での自社仕様改装、改番などで小田急時代との対比は大変厄介である。写真にある元荷電のモハ1007~1009は戦後直ぐに相模鉄道へ譲渡され...
View Article日立電鉄 元神中鉄道の三角電車
相模鉄道からやってきた電車は元小田急のモハ1000形(1001~1009)と元神中鉄道(後の相模鉄道)の三角電車モハ13形4両(13~16)...
View Article日立電鉄 廃線1年前
次は旧型車が一掃された後のよく知られた日立電鉄です。2000年代は旧型車が一掃され元地下鉄銀座線2000系に統一されていた時代。この頃に何回か訪問のチャンスがありながら何故か気が進まなかったのは、初めて買ったデジカメがお粗末なもので撮る気がしなかったせいかもしれない。廃線1年前の2004年6月、日立電鉄で母校鉄道研究会の創立50周年記念列車が走った。元地下鉄の日立電鉄2000形(2001~2010)...
View Article曇天の世田谷線
先月、世田谷線を三軒茶屋から下高井戸に向けて撮ってみたのですが曇天でぱっとしません。こんなありふれた風景を昔の玉電下高井戸線の雰囲気と比較してみました。住宅や道路の一新以外は今も昔も鉄道と車(踏切)が共存する静かな住宅地の雰囲気はそれほど変わっていないようです。西太子堂 2013.04.14西太子堂-若林山下からの直線が右にカーブした先に松原の駅がある.山下-松原...
View Articleお知らせ
気まぐれで始めたブログも3年でページビュー数(右下カウンター)が100万となりました。月間ページビュー数は今も上昇中で、中断せずここまで続けてこられたのも皆様のお陰です。次はダブルカウント(24H内)なしの訪問者数(右上カウンター)100万達成を目指しますが、達成まで果たしてブログが続くかどうか?遠い道のりですが、どうかこれからも宜しくお願い致します。ブログ管理人 katsu
View Article昨日のテレビ「廃線歩き旅」は駿遠線であった
6月1日夕方6時30分~テレビ東京「ノスタルジック鉄道紀行-にっぽん廃線歩き旅2」という番組で静岡鉄道駿遠線の廃線歩きが放映されましたね。大手から袋井まで全線64.6Kmの廃線歩きは、よくある鉄道旅番組とは違って中々のもの。こんな中身の濃い番組を土曜の夕食時に流すのはもったいない。2時間半もの長い番組で注目は駿遠線だったと思います。番組に登場した沿線の皆さんの声を聞くと、この小さな軽便に大変な懐かさ...
View Article