玉電大橋車庫の電車2
大橋車庫で建屋が写っている画像二点は以前使用済で、今回 拡大画像にしてみました。大橋車庫の全体.1962.12.07左に2連の第一車庫、中央に車輪工場、右手に2連の第二車庫?が見える.2連の第一車庫とその脇を留置線が奥へ延びる.70形(71) 両端ドアの2枚引き戸が改造前の姿. 第一車庫を抜けた奥の留置線.70形(72) 車輪工場の前.70形(73)...
View Article井の頭線 井の頭公園
井の頭公園駅を出て鉄橋を渡るあたりの木立ちを今昔比較してみました。1960年代は殺風景だった光景も今や緑豊かになったものです。井の頭公園 1967年3月井の頭公園 1967年3月井の頭公園 2011.06.13神田川上流側から見る.井の頭公園 2011.06.13神田川下流側から井の頭公園方面を見る.
View Article国鉄横浜線 町田風景
1964年夏に井の頭線レインボーカラー車を撮った頃、横浜線の町田風景は原町田から淵野辺方面へ向かうとのどかで自然豊かな風景が拡がっていた。小田急と交差し森野住宅の横を八王子へ向かう.原町田-淵野辺 1964年6月今も面影残す県道52号線の道路橋橋の先の淵野辺方面は宅地開発がされてなく一面に自然が拡がる.桑畑風景をC58の貨物列車がのんびりと走る. 原町田-淵野辺
View Article東京の郊外電車
昔、東京で「郊外電車」と言えば渋谷から吉祥寺へ向かう帝都電鉄(現井の頭線)モハ100形200形がその代表的な電車だったようで、幼い頃に絵本か何かで見たヒサシ付運転席窓とオデコライトの郊外電車が強く印象に残っている。井の頭線の富士見ヶ丘で撮ったこの1枚。無残な2つ目ライトで全く関心が無かったが1403の経歴を調べてみるとこれこそは帝都電鉄モハ100形のなれの果てのようである。ライトを1っ目に戻し運転席...
View Article新潟交通 素晴らしき世界
前回の新潟交通ではカラーを中心にアップしましたが、人気の鉄道のせいかとてもよくアクセスされています。今回はモノクロ中心でアップしてみます。新潟交通は初日に雨に降られ、佐渡島観光を挟んで翌日また出直したのでした。新潟交通の素晴らしき世界を初日からネガを追ってみます。まずは魅力溢れる電車庫の風景から。東関屋の電車庫内部....
View Article新潟交通 雨の県庁前
初日、国鉄新潟駅から新潟交通始発駅の県庁前に到着するとあいにくの雨であった。ここから全線乗車する予定が雨で嫌気をさし、撮影を中止し新潟港から佐渡島観光へと向かった。翌日にまた県庁前に来てみるとまたしても雨。小雨の中を併用軌道を歩き始めた。雨の県庁前 1968.08.16雨の県庁前モハ16(元国電旧伊那)+クハ36(初代モハ16)新潟を出港し佐渡島の両津港に到着....
View Article新潟交通・東関屋 最後の田舎電車
新潟交通の車両を調べてみると、訪問した1968(昭和43)年はそれまでの車両が続々更新されて姿を変えつつあった時代だったようで、開業からの小型車モハ11、12、13、14、15、5両の内12、15は確認できたが、他の3両は既に日車標準型の車体に更新されていた。そしてこの日に見た元東武5枚窓、生え抜き小型車モハ12、15等はこの後すぐに日車標準型や元小田急1400の車体に生まれ変わって行った。更新済み...
View Article山岳路面電車2 日光駅前から神橋へ
日光軌道線の馬返行き電車は日光駅前を出発すると大通りを次の神橋へ向かって進みます。特記なき撮影日は1963.07.14 写真は全て青蛙さん撮影東武日光駅前. 馬返し行き電車は左へ進み大通りへ出る....
View Article山岳路面電車3 神橋から田母沢へ
国鉄の駅前から直ぐにこう配につぐ勾配で、終点の馬返まで実に305mを登っている。線路の最急こう配は60‰、50‰前後の勾配が随所にあって、全体が勾配から成り立っていることがわかる。それは2000m級の山々の山腹に置かれた山の町の電車といえる。標高838mの馬返終点は、我が国の路面電車としては最高点であるはずだ。(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第4分冊より)特記なき撮影日は1963.07.14...
View Article昭和40年の江ノ電風景
前回アップした1963(昭和38)年4月から2年後の1965(昭和40)年3月、鎌倉高校前から稲村ヶ崎へ向かって海岸沿いを走る江ノ電を撮り歩いてみました。ちょうどマイカー普及の時代が始まった頃で海岸沿いをスポーツカーが快適に飛ばしているのを見掛けると、歩いて電車を追いかけているのがミジメになったものである。海岸沿いを走るこの辺りは江ノ電風景も最高潮であったが、海が見える沿線はどんどん開発されて派手な...
View Article草軽電鉄の模型
先日、大学鉄研OB会のM先輩が製作された草軽電鉄の模型を45年ぶりに拝見。アメリカン3フィーターの10.5mmゲージの部品を使った尺度1/70で、昭和38年頃の製作だそうです。9mmゲージがまだ無かった頃の軽便模型はナローの部品などはなく16番16.5mmゲージの部品を加工して使ったりで、アメリカンナロー10.5mmゲージの小さな台車や車輪を使うのはとても贅沢に感じたものであった。草軽の1/70ナロ...
View Article草軽電鉄の現役時代1
先日の大学鉄研OB会のM先輩との草軽模型談議で拝借してきたのが草軽電鉄現役時代の写真です。私にとって手が出なかった草軽電鉄は保存車両デキや車両竣功図、書籍を眺めるのが精一杯でした。M先輩は全線営業していた1958年と、吾妻川橋梁流出により上州三原で分断後の1960年と1961年に訪問し撮影したようです。...
View Article草軽電鉄の現役時代2
上州三原駅 1961年上州三原駅構内に新設された車庫兼工場.上州三原の車庫兼工場転がっているプレーン車輪はボギー貨車(径610mm)のものでしょう.草軽のボギー貨車は軽便としては最大クラスの巨大アーチバーを履いていた.無蓋車とホハ30を牽く草軽の代表的な編成. 嬬恋?この線路配置から国境平駅か?全ての駅の構内図と照合すると国境平駅から二度上方面を見た線路配置と一致する.鶴溜新軽井沢行き. 鶴溜...
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