昨年9月にアップしました「熊谷駅の古典電機」で秩父鉄道の電機を紹介したことがありますが、同じ場所で撮った秩父鉄道の電車を集めてみました。
秩父鉄道で1988年に消滅した100形電車と云えば。正面中央窓が幅広でHゴム3枚窓の何の変哲もない電車であったが、写真を撮った1965年の100形をよく見るとマルーンに白帯の旧カラー車が居て、両運転台のモハがクハニ(ユ)と組んだ旧カラー車の編成が走っていた。また片運転台に改造された100形の方は新カラーになっていて、後年さらに改造され当時の美しい原形とは別物のようになってしまった。
秩父鉄道100形一族とは(Wikiより)
木造車の鋼体化改造車として日本車輌で製造された。最大時、デハ100形デハ101~113、クハ60形クハ61~67、クハニ20形クハニ21~30、クハユ30形クハユ31の31輌が在籍したが、1988年までに全車両が廃車になった。
100形の編成(クハ60形+デハ100形+クハ60形+デハ100形) 熊谷 1965.05.30 クリック拡大
旧カラー車と新カラー車の編成があり写真は新カラー車で改造後.
旧カラー車のデハ100形(112)両運転台は美しい姿をしていた. 熊谷
マルーンに白帯の昭和30年代のカラーリングが良かった.
マルーンに白帯の昭和30年代のカラーリングが良かった.
旧カラー車のデハ100形+クハニ20形
クハ60形(67) 熊谷
500系 1992年全車廃車 熊谷
旧カラー車100形の編成はクハニや両運モハの編成で中々の魅力だ.
2両目のモハは弘前電鉄へ行ったデハ52(弘前モハ106)と同形のようだ.
上の後追い
グリーンに塗られた元秩父の弘前電鉄モハ106.秩父100形より全長が短い
国鉄八高線と並走するクハニ先頭の100形の編成 寄居
秩父鉄道は国鉄八高線をオーバクロスして分かれる. 寄居