昨年12月3日にアップしました昭和39年の長岡駅構内配線図は不明箇所の線路配置を推定で書いてその儘になっていました。その後、書籍やネット検索などでこの時代の証拠写真を探しつけ合わせて構内配線図を補正してみました。
特に不明であった奥の車庫(工場?)は、ここまで入って探索した人は殆どいなかったようで、線路配置の証拠写真となったものは数枚でした。車庫建屋をズバリ撮った写真は皆無で、車両の背景に写った建物の断片と線路形状から割り出し訂正した線路配置です。
昭和42年11月に車庫・車両工場が下長岡に移転するまで、このような車両工場で次から次と奇怪な車両が生まれて来たのが驚きです。まるで縮尺1/1の模型のような電車もあった。
特に不明であった奥の車庫(工場?)は、ここまで入って探索した人は殆どいなかったようで、線路配置の証拠写真となったものは数枚でした。車庫建屋をズバリ撮った写真は皆無で、車両の背景に写った建物の断片と線路形状から割り出し訂正した線路配置です。
昭和42年11月に車庫・車両工場が下長岡に移転するまで、このような車両工場で次から次と奇怪な車両が生まれて来たのが驚きです。まるで縮尺1/1の模型のような電車もあった。
2. ターンテーブル上の線路の末端が不明
このテーブル上線路の先は行き止まりになっている。
このテーブル上線路の先は行き止まりになっている。
3. 元小坂古典客車がいた留置線の先が不明
この引き込み線は給水塔の脇を奥の車庫内につながっている。
この引き込み線は給水塔の脇を奥の車庫内につながっている。
4. 車庫の悠久山側の線路配置が不明
手前側扉の外へ出てくるのは1線のみ。
手前側扉の外へ出てくるのは1線のみ。
5. 遠くに電車が見える奥の車庫(工場?)の悠久山側が不明
奥の車庫の悠久山側は分岐した2線が庫内に入っている。
奥の車庫(工場?)の悠久山側
奥の車庫の悠久山側は分岐した2線が庫内に入っている。
奥の車庫(工場?)の悠久山側