私が初めて信越線軽井沢駅前で草軽を見たのは昭和38年、その時はすでに廃線3年後で新軽井沢駅はバスの拠点になっていた。構内には無数のボギー貨車が台車を外されて置いてあったが、その頃の情報不足で私には草軽の全体がよく把握できていなかった。新軽井沢駅の構内を撮ったのはオリンパスペンの4枚だけであった。
廃線後の新軽井沢駅 1963.7.21
草軽電鉄の新軽井沢駅がそのままバスターミナルに。1960年4月廃線の3年後で「電車・バスのりば」の看板が「草軽バスのりば」へ書きかえられていた。
駅はバスの施設となり草軽の貨車の車体が残されていた。
以下は昭和33年 現役時代
新軽井沢駅構内のデキ 1958(S33)年
区間運転のモハ100形 新軽井沢-旧軽井沢 1958(S33)年