1987年の3月14日、肌寒い日もあれば春の陽気が感じられる丁度今頃の季節。3月31日の廃線で消える直前の常陸小田駅に桜の蕾が膨らんでいた。
Facebook(私ではありません)に沢山の地元次世代の人たちから、失われた筑波鉄道と常陸太田駅を惜しむ声が寄せられていました。
"若い人がまだ気づいていない日本の良さをもう一度引き立てて、通学通勤で利用してた皆さんにも喜ばれるような再活性化ができればこの上ない賑わいが生まれるのではないか・・・・"
このような声がありましたが、私もいつも思うのはこんな日本の良さを少しでも残していて欲しいことです。きっと今の常陸小田駅跡は激変してしまっているのでしょう。
昨日から、2011年3月21日アップ「最後の筑波鉄道 常陸小田」にfacebookからのアクセス数が跳ね上がっていました。
Facebook(私ではありません)に沢山の地元次世代の人たちから、失われた筑波鉄道と常陸太田駅を惜しむ声が寄せられていました。
"若い人がまだ気づいていない日本の良さをもう一度引き立てて、通学通勤で利用してた皆さんにも喜ばれるような再活性化ができればこの上ない賑わいが生まれるのではないか・・・・"
このような声がありましたが、私もいつも思うのはこんな日本の良さを少しでも残していて欲しいことです。きっと今の常陸小田駅跡は激変してしまっているのでしょう。
昨日から、2011年3月21日アップ「最後の筑波鉄道 常陸小田」にfacebookからのアクセス数が跳ね上がっていました。