三山線の終点間沢の駅前食堂でラーメンをすすり、月山へ向かった。
間沢から少し進むと舗装路が終わり谷川に沿った山道に入る。それほど狭くもないごく普通の山道を進むと1時間ほどで一面に視界が開け志津の高原に出た。急にひんやりとした冷気を感じる広漠とした原野であった。
スキー板を載せた東京ナンバーのクルマが何台も止まっている志津の旅館街をぬけ、月山の手前の姥ヶ岳へ登り始めるところに国民宿舎「月山壮」があった。しゃれたロッジ風の宿舎でここで友人と合流し宿泊した。
この15年くらい後に家族と月山へ来た時は新幹線とバスで一気に志津に到着し、三山線もとっくの昔に消え、志津方面へ向かう立派な道路が何本も開通し、あの時に信仰の山「月山」へ向かった雰囲気は全く消えていた。
間沢から少し進むと舗装路が終わり谷川に沿った山道に入る。それほど狭くもないごく普通の山道を進むと1時間ほどで一面に視界が開け志津の高原に出た。急にひんやりとした冷気を感じる広漠とした原野であった。
スキー板を載せた東京ナンバーのクルマが何台も止まっている志津の旅館街をぬけ、月山の手前の姥ヶ岳へ登り始めるところに国民宿舎「月山壮」があった。しゃれたロッジ風の宿舎でここで友人と合流し宿泊した。
この15年くらい後に家族と月山へ来た時は新幹線とバスで一気に志津に到着し、三山線もとっくの昔に消え、志津方面へ向かう立派な道路が何本も開通し、あの時に信仰の山「月山」へ向かった雰囲気は全く消えていた。
5月連休中の国民宿舎「月山壮」
月山壮に泊まった翌日は一日雨となり、ここにもう一泊し翌日羽前高松へ下った。この日も陽が差さず、やる気なしで曇天の寒河江川鉄橋で撮ったのがこの写真であった。
白岩-新田 1971.5.5
白岩-新田
白岩-新田 最上川支流の寒河江川を渡る。