思えば昭和37年の加悦鉄道を含む「地方私鉄めぐり」のスタートは渋谷駅であった。
1962年7月27日、渋谷駅の大階段を上がった東横線切符売り場あたりに集合し、東京駅から18:30発明石行急行「はりま」で西へ向かった。山陽道~山陰を経て加悦鉄道に到着したのが7月31日。
昭和37年は東京も地方同様に戦後の面影を色濃く残していた筈。なのにその時代の当たり前の風景に驚きもなく都電も渋谷駅も1枚も撮ってなかったのが悔やまれる。いつも「私鉄めぐり」の集合場所となったあの頃の東横線渋谷駅は改装前で凄まじい戦後の光景だったはず。その渋谷駅が幕を閉じ、あの時の渋谷駅から50年が経っていた。
国鉄宮津線の丹後山田駅では派手なカラーに塗られたキハ51が客を待ち受けて、日中はこのキハ1両が往復していた。
1962年7月27日、渋谷駅の大階段を上がった東横線切符売り場あたりに集合し、東京駅から18:30発明石行急行「はりま」で西へ向かった。山陽道~山陰を経て加悦鉄道に到着したのが7月31日。
昭和37年は東京も地方同様に戦後の面影を色濃く残していた筈。なのにその時代の当たり前の風景に驚きもなく都電も渋谷駅も1枚も撮ってなかったのが悔やまれる。いつも「私鉄めぐり」の集合場所となったあの頃の東横線渋谷駅は改装前で凄まじい戦後の光景だったはず。その渋谷駅が幕を閉じ、あの時の渋谷駅から50年が経っていた。
国鉄宮津線の丹後山田駅では派手なカラーに塗られたキハ51が客を待ち受けて、日中はこのキハ1両が往復していた。
更新直後でピカピカのキハ51. 加悦 1962.7.31
船木鉄道より1962(昭37)年4月に入線し、自社改装され白に近いクリームと朱色のツートンカラーに塗られ7月21日より使用開始された。荷台付気動車はローカルムードがあったがあの渋いマッチ箱客車の加悦鉄道にはマッチしないカラーリングであった。
加悦を発車し丹後山田へ向かう
丹後山田駅の加悦鉄道線のりば. 昼過ぎで乗客もまばらであった.
キハ15と4号機