小型電車がいる車庫風景
先月、居酒屋鉄談議でChitetsuさんに初めてお会いし例の小型電車の模型を拝見させてもらいました。単なる自由型ではなく実物観察に基づいた心象鉄道での自由型と、その仕上がりの素晴らしさにただ々驚くばかり。この直後、この小型電車がいる車庫風景がChitetsuさんブログにアップされました。1月26日のブログ...
View Article松本電鉄浅間線、早朝の温泉行き電車
夜行列車で夜明けの都市に到着すると、うす暗い駅前通りに路面電車が停まっている。こんな早朝の駅前光景を1960年代には各地で見掛けた。朝5時前に到着した松本駅は夜行でやってきた登山客で賑わい、登山客が向かう上高地方面とは反対の東側に開けた松本市街を浅間温泉行の電車が走っていた。温泉行電車の撮影は、こんな登山客を除けば早朝でひと気のない松本駅前からスタートした。陽が出てからの浅間線の紹介は「松本電気鉄道...
View Article流山電鉄の車両
昭和38年頃の流山電鉄の風景を2011年2月に紹介しましたが、今回は車両編をアップします。この頃の車両は元南武鉄道のモハ100形(101,102,103,105)が主力の時代であった。流山駅のモハ101 1963.03.31お椀型ベンチレータのモハ103 馬橋 1962年3月美しいボールドウィン台車モハ105 流山 1962年3月モハ102 馬橋 1963.03.31モハ102 流山...
View Article頚城鉄道 夏の浦川原駅1962年
頚城鉄道が新黒井から浦川原まで繋がっていた元気な時代。部分廃線前でまだ貨物輸送があった夏の浦川原駅を1962(昭37)年と1968(昭43)年に分けて取上げてみます。この数年間は自動車時代到来で真っ先に消えた軽便貨物輸送の最後の数年間であったのでしょう。新黒井で国鉄と接続していた時代は米どころ新潟の軽便貨物輸送も活発でホジの乗客も多かった。しかし1968(昭43)年秋の新黒井~百間町間と飯室~浦川原...
View Article頚城鉄道 夏の浦川原駅1968年
1962年から6年が過ぎた浦川浦駅は以前と変わらない夏の風景であった。この年の9月末に飯室~浦川原間の部分廃線を迎え、こんな浦川原駅の風景も消える直前であった。駅には以前のように貨車の姿が見えなかったが、小さな貨車は貨物長大編成へ出動していたのだった。部分廃線を迎え貨物輸送も廃止されるというのに、小さな貨車で新黒井まで輸送する荷がまだあったということになる。この夏の貨物長大編成のことは「頚城鉄道4...
View Article頚城鉄道 下保倉あたり
1968年夏に貨物の長大編成を高台から撮ったのは下保倉駅の近くで、確かこの辺りの今は北越急行が走っているところ。現在の地図に下保倉駅と昔の浦川原駅の位置を入れてみました。地図で赤ラインが頚城鉄道、黒ラインが北越急行です。現在の北越急行の浦川原駅の位置は、頚城鉄道の浦川原より少しずれている.美しい田舎の風景を行く長大編成の後ろに下保倉駅が小さく見える....
View Article頚城鉄道 コッペル2号機さよなら運転
1966年5月に走った「コッペル2号機さよなら運転」の夢のような光景を撮影された諸河久プロの写真をアップロード了解を戴きましたのでブログに公開します。撮影地は先日のブログにあった下保倉で、遠い昔のコッペル蒸機列車の光景はとても1966年とは思えません。【moro9さんのコメントより】懐かしくて泣けてくる撮影地です。 コッペル2号機がさよなら運転したのが1966年5月12日でした。...
View Article頚城鉄道 2軸客車
頚城鉄道の2軸客車について1962(昭37)年と1968(昭43)の状態を比較してみました。まだ元気だった頃の頚城鉄道 新黒井駅構内 1962.08.03雑草が刈り込まれた真夏の構内にニフ1やハ5、ハ6が並んでいた.奇麗な状態のニフ1 1962.08.03ハ6とハ5. 1962.08.03 新黒井以下は部分廃線直前の1968(昭43)年夏の光景。ホジ3の編成に付いた くたびれたニフ1. 新黒井...
View Article玉電風景 道玄坂を下る
玉電風景シリーズは坂を下り始める「玉電風景 道玄坂」で中断していましたが更に道玄坂を下って東横百貨店西館内の渋谷駅までを当時と、44年後の目まぐるしく変貌する今の渋谷とを比較してみます。道玄坂 玉電専用軌道. 上通り-渋谷...
View Article華やかな私鉄ターミナル駅
3月16日から地下駅がスタートする東横線渋谷駅。地上駅の機能はまもなく停止し、私鉄ターミナル駅の風景は消滅する。そんな消え去る風景の最後を切り取ってみました。正面階段を上がって出発ホームに向かう私鉄ターミナル駅らしい風景....
View Article加悦鉄道 DB機関車と片ボギー車
2010年のブログ初期に数枚アップしただけになっていた加悦鉄道の古いネガを全てスキャンしてみました。加悦鉄道は蒸機だけでなく古典の客車も多く、まるで動態保存鉄道のようであったことはよく知られている。古典物の前にまず車庫で撮ったのがDB機関車と片ボギー車であった。軽便でよく見掛ける車両形態の3フィート6インチゲージ版といったところ。DB201 (昭和28年森製作所製)...
View Article加悦鉄道 古典客車
昭和37年、加悦鉄道の加悦構内には数多くの古典客車が居て、保存鉄道ではなく現役の姿でこれだけの文化財が生きていたとは驚きの世界であった。どの客車も外観上は老いた痛みもなく、しっかり保守管理がされてきたのでしょう。大江山を望む加悦鉄道の名場面 加悦 1962.7.31現役の古典客車が休む加悦構内ハ10 大正15年 梅鉢工場製ハブ6 大正15年 梅鉢工場製ハブ2 大正5年 名古屋電車製ハ21...
View Article今朝の渋谷駅地下化
今日の朝一に代官山へ駈けつけてみると、昨日までのレールが梁桁の上に乗っていたのには驚いた。代官山の地上にあった線路を地下線へと切り替える工事は、前日15日の終電後から16日始発まで深夜のたった4時間で行われた。工事は総勢1200名態勢による一部ホームや架線・線路の撤去、桁打上・降下、地上線と地下線の接続、試運転などだそうで、高級住宅地の中でこれだけの付替え工事を4時間でやってしまうとは...
View Article加悦鉄道 キハ51
思えば昭和37年の加悦鉄道を含む「地方私鉄めぐり」のスタートは渋谷駅であった。1962年7月27日、渋谷駅の大階段を上がった東横線切符売り場あたりに集合し、東京駅から18:30発明石行急行「はりま」で西へ向かった。山陽道~山陰を経て加悦鉄道に到着したのが7月31日。昭和37年は東京も地方同様に戦後の面影を色濃く残していた筈。なのにその時代の当たり前の風景に驚きもなく都電も渋谷駅も1枚も撮ってなかった...
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