西武山口線で最も軽便の雰囲気を楽しめたのはこの2両のコッペルと井笠の木造客車が揃った時期ではないでしょうか。木造客車は最後まで走ったがこの2両のコッペルは頸城と井笠に戻ってしまった。画像は再掲です。
1972(昭47)年06月03日 頸城鉄道2号機「謙信号」の運行開始しその後井笠鉄道1号機も入線
1973(昭48)年07月05日 井笠鉄道からの木造客車が配属開始
1977(昭52)年09月23日 頚城井笠の蒸機に代え元台湾糖業公司の蒸機5型2両の運行開始
軽便最盛期の時期とは1973(昭48)年07月05日~1977(昭52)年09月23日の約4年間ということに。
1972(昭47)年06月03日 頸城鉄道2号機「謙信号」の運行開始しその後井笠鉄道1号機も入線
1973(昭48)年07月05日 井笠鉄道からの木造客車が配属開始
1977(昭52)年09月23日 頚城井笠の蒸機に代え元台湾糖業公司の蒸機5型2両の運行開始
軽便最盛期の時期とは1973(昭48)年07月05日~1977(昭52)年09月23日の約4年間ということに。
入線2年後の井笠鉄道1号機 西武遊園地 1975.06.01
ユネスコ村 1975.06.01
井笠1号機が牽く井笠のダブルルーフ木造客車は夢のような列車だった.
軽便蒸機列車は子供達にどんな思い出を残したのでしょうか.
頚城2号機と井笠鉄道1号機の列車交換
頚城鉄道2号機
朝顔カプラーの連結作業